22. キュッパの音楽会

キュッパのおんがくかい (福音館の単行本)  オーシル・カンスタ・ヨンセン (著), ひだに れいこ (翻訳)

読み聞かせレポート

1場面目 「キュッパは まるたの おとこのこです。なかよしの もみのきの ググランと おばあちゃんの いえに あそびにきました。」というところは、少し絵が小さいので、どの子がキュッパで、どの子がググランかわかりにくいかもしれません。指差しながら読むか、導入で少し登場人物の説明をしてもよいかもしれません。
3場面目 指揮者が登場する場面は、指揮者の体が大きく描かれているせいか、子どもたちに強いインパクトを与えたようです。私は自分の中で指揮者のキャラクターをつくってちょっとこわい感じでセリフを読み上げました。
よこから ググランが 「ぼくは ググランだよ」と いっても しきしゃは 「ああ そうかい」と こたえるだけで どうでも よさそうです、というところでは、「かわいそう」と声を漏らす子や、笑う子もいました。

4場面目  キュッパのおばあちゃんが木琴を叩く姿がふきだしの中に描かれているのですが、この場面は子どもたちの注意をかなり惹きつけることができました。漫画っぽいふきだしが絵本に出てくるのが面白かったのでしょか。おばあちゃんのバチさばきが格好良かったから?

5場面目 1年生のクラスではトランペット、サクソフォンという言葉が分からなかったようです。あまり何度も指差しをするのはよくないようですが、低学年のクラスでは理解を助けるためにやってもよいかもしれません。

7場面目 エルセがキュッパにトランペットの吹き方を教える場面。これはかなり面白かったみたいです。漫画のようにコマに分かれていると、読み聞かせでは使いにくい部分もあるのですが、実際子ども達は関心を持ってくれたように思えます。

8場面目 「キュッパは れんしゅう するうちに……どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん…… ……うまく なりました」というところは、リズムよく抑揚をつけて読めて、子ども達が面白いと思ってくれたのが伝わってきました。
「でんせんに とりが とまっているみたいだ!」というところは1年生のクラスではちょっと反応が薄く、4年生のクラスでは関心を持ってもらえました。1年生にはまだちょっと難しかったのかもしれません。

9場面目は黒いページでキュッパの動きが描かれていないので、子ども達に理解してもらえるかちょっと心配でした。でも実際は、突然黒いページが出てきたのがインパクト大だったようで、子ども達が集中して話に耳を傾けてくれているのが分かりました。「はやく でていけ!」というところ、怖い感じで、どすをきかせて読んだのですが、びくっとしている子もいました。

11、12場面目 キュッパのお皿洗いの場面です。この絵本の場合、ここから特に面白さが爆発して、何人かだれてきていた子ども達の目も再び輝くのが分かりました。子どもってやっぱり音に興味があるのですね。

13、14場面目 キュッパが楽器をつくる場面。子ども達はキュッパに釘付けです。

15場面目 「キュッパの おんがくかいの はじまりです!」この場面は最高だと思いました。こんなに愉快で楽しい場面、なかなかないですね。子ども達はすっかりキュッパの世界に入り込んでいました。
私はPCを持って行って、キュッパのおんがくかいのプロモーション映像を流したのですが、それも評判がよかったです。先生も終わった後、興味津々で、どうして絵本と連動したビデオがあるのか、と質問してくださいました。

16場面目 おばあちゃんがトロフィーを持ってくる場面。やっぱり子どもって、トロフィーや表彰状が好きなんですね。キュッパの喜びやわくわくが子ども達に見事に伝わったようです。オーシルさんの才能に脱帽です。

(関連グッズ)

  

 

  

 
   

21. カンヴァスの向こう側

書影

 

『カンヴァスの向こう側』フィン・セッテホルム作、評論社、2013年

”Lydias Hemlighet”, Finn Zetterholm

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あらすじ

リディアは、絵を描くのが大好きな十二歳の女の子。公園で不思議な少年に出会ってから、まわりでは変なことばかり。おじいさんと出かけた美術館で、絵画にふれてしまったリディアは、絵画の世界に迷いこみ…待ち受けるのは、どんな冒険でしょう?気難しかったり、冗談好きだったり、気のいい飲んべえだったりと、素顔の巨匠に出会えます。名画をめぐる時空を超えたファンタジー。

作家紹介

フィン・セッテホルム(Finn Zetterholm)

1945年、スウェーデンの古都シグトゥーナで作家の両親の間に生まれる。両親の影響からか自然に児童書の著作活動に入る。スウェーデンでは知らない子どもはいないというほど人気の、テレビアニメ番組の主題歌を手がけた作詞・作曲家、歌手。現在はコンサート活動を行うかたわら、児童書作家としても活躍している。本書はイタリアの「チェント賞」、オランダのセレクシス青少年文学賞」を受賞している。

あとがき

 この本の主人公リディアは絵を描くのが大好きな十二歳の女の子です。子ども部屋の壁いっぱいに絵を描いてしまいお父さんとお母さんをかんかんにさせてしまうなど、ちょっと変わったところはあるものの、毎日学校に通う平穏な日々を送っていました。
 ところが学校の帰り道に公園のベンチで絵を描いている時に鳥に鉛筆をかすめとられてから、奇妙な出来事が起こり始めます。医者であるおじいちゃんの営む病院の絵から女の子が消えてしまったり、鳥に顔がそっくりな少年から渡された薬を飲んだとたん、スペイン語が分かるようになったり……。
 さらにリディアはおじいさんと行った国立美術館でレンブラントの絵に触れ、一六五八年のオランダ、アムステルダムにタイムスリップしてしまいます。リディアはレンブラントのメイドのヘンドリッキェと仲良くなったり、レンブラントに才能を見出され絵の描き方を教えてもらったりと、アムステルダムでの生活に段々と慣れていきます。ところがある日大雨が降り、土手に流れ込んだ海水にリディアは飲みこまれてしまいます。流れてきた絵に必死でつかまると、今度はベラスケスの時代のスペインにやって来てしまいました。
 このように様々なピンチに見舞われながら、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エドガー・ドガ、ウィリアム・ターナー、ダリといった有名画家の時代へ次々タイムスリップしていくリディア。そこで画家たちの素顔に触れ、絵の描き方を観察したり習ったりすることで成長していきます。でもいつまでも過去の世界にいるわけにはいきません。一体どうしたら大好きなおじいちゃんやお父さん、お母さん、友だちのリンが待つ二十一世紀のスウェーデン、ストックホルムに戻れるのでしょうか。
 この作品は美術史に基づいたファンタジーです。例えば第二章で王女と隠れんぼすることになったリディアが、ヴェラスケスの工房に迷む場面で、『侍女たち(ルビ:ラス・メニーナス)』の絵の中に、カンヴァスと向き合うヴェラスケスの姿が描かれ、そのカンヴァスの中にもカンヴァスと向かい合うヴェラスケスの姿が描かれ、さらにそのカンヴァスの中にも……と、永遠に続いていったら面白いのではないかと作者のフィン・セッテホルムさんは考えました。実際の絵の中ではカンヴァスの向こう側は見えませんが、このような想像が加わることで、物語が一層幻想的で神秘的なものに思えるのではないでしょうか。読んでいる私たちの想像力も無限に膨らんでいくようでわくわくさせられます。
 第三章『ラ・ジョコンダ--モナ・リザ』では、お腹が痛くなったジョコンダがトイレからなかなか戻ってこなかったので、レオナルド・ダ・ヴィンチがリディアに代わりにモデルをするよう頼む場面が出てきます。ここは原書の表紙にもなるほど印象的な場面ですが、世界的名画のモデルに一瞬でもリディアがなったという想像はかなり大胆に思えるかもしれません。でも実は専門家の間ではダ・ヴィンチは一五一九年にこの世を去るまで、この絵に手を加え続け、完成させることはなかったという説があるそうです。ジョコンダが物語の中で、いつまで経っても絵が出来上がらないと怒っていたように、これだけ長い期間かけて描かれたのであれば、ダ・ヴィンチがジョコンダだけでなく、途中で違う女性をモデルにしたことも十二分にありえるそうです。またモナ・リザのモデルはジョコンダではなく全く別の人物なのではないかという説もあり、モデルについての真相はなぞのベールに包まれたままなのです。
 作者のフィンさんによる、リディアが迷い込む名画の世界の描写は実に見事で、読んでいる私たちまで画家たちの時代にタイムスリップしたような気分になれます。この作品はフィンさんの母国、スウェーデンだけでなく、ヨーロッパの様々な国が舞台となっています。そんな本作がイタリア語、オランダ語、フィンランド語、ポルトガル語などたくさんの言葉に翻訳され、中でもレンブラントの母国オランダで「セレクシス青少年文学賞」を、ダ・ヴィンチの母国イタリアで「チェント章」を受賞したことからも、本国の人たちが読んでも違和感を感じないほど、緻密に風景や風俗などが再現されていることがよく分かります。
 作者は美術の専門家ではありませんが、美術館で絵を見たり、美術書を読んだり、画家の伝記を読んだりするのが長年の趣味で、その知識をもとにこの作品を描いたそうです。私も作品名、画家名、地名などを日本語に正確に訳すため、リディアではありませんが、美術書を幾度となくむさぼり読みました。そしてその度フィンさんの知識の豊富さに驚かされるのです。
 例えば第四章の『バレエの教室』で、バレリーナを夢見る少女イヴェットのファンを名乗る中年男性アンリが彼女に付きまといますが、当時若いバレリーナの取り巻きをする中年の男性が多数いたそうです。ドガはそんな彼らの姿を批判的な視点からとらえた作品を残しているようです。
 こんな風に言うと、難しいお話に思えてしまうかもしれませんが、そんなことは全くありません。リディアやおじいちゃんだけでなく、出てくる画家も個性派ぞろいで、きっと楽しんで読めることでしょう。
 第三章のダ・ヴィンチは登場場面からして強烈です。森に大きな鳥のようなものが落ちてきたと思ったら、それは実は鳥ではなく、翼を真似て作った羽根で飛ぶ実験をしていたダ・ヴィンチだったのです。さらにダ・ヴィンチは道で鳥かごに閉じこめられ売られていたツグミをかわいそうに思い、全て買ってかごから放ちリディアを驚かせます。
 一番の奇人は何といっても第六章のダリでしょう。自分の乳歯を家の装飾代わりに天井に飾ったり、面白いからという理由で8歳までベッドでおしっこをしたりするのですから。
 また他の画家ほど有名ではありませんが、ドガの弟子として登場するこの作品唯一の女性画家、メアリー・カサットにも注目していただけたらうれしいです。彼女は女性画家が出始めたばかりの時代に、画家として大成したいという野心と信念を持っていました。物怖じしない性格で、師匠であるドガにも真っ向から意見をぶつけます。それでいて愛くるしくて茶目っ気のある彼女のことを、奥手で気難しいドガも大事に思わずにはいられない様子です。そんなカサットの姿は画家という夢を求めてひた走るリディアと重なるところがあるように思えるのは私だけでしょうか。ひょっとしたらいつかリディアが二十一世紀のメアリー・カサットと呼ばれる日がやって来るのかもしれません。
 おじちゃんや世界の有名画家たちがリディアの才能を引き出したように、この本が皆さんを美術の世界へと誘う案内役となれば訳者としてこんなに光栄なことはありません。

書評など

20. このTシャツは児童労働で作られました。

書影
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『このTシャツは児童労働で作られました。』シモン・ストランゲル著、汐文社、2013年
“Verdensredderne”, Simon Stranger

あらすじ

本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、インターネットでおしゃれな服をチェックしたりするのが好きな平凡な高校一年生の少女、エミーリエは、ある日H&Mで男の子が値札にシールを貼っていることに気が付いた。シールには、「このTシャツは児童労働でつくられました。」という文と、『世界を救おう』というグループのブログのアドレスがプリントされていた。

家に帰り、『世界を救おう』のブログをチェックしたエミーリエは、H&Mの服が安いのは、バングラデシュなど途上国の人達が最低限の生活を送るのもままならないほほど安い賃金で奴隷のように長時間こき使われているからだと知り、ショックを受ける。しかもその中には子どももいるらしい。

アントニオというその男の子とブログで連絡をとったエミーリエは入団試験を受け、無事グループの仲間入りを果たす。

しかしメンバーの一人であるアウロラという女の子が、アントニオとやけに仲が良く、エミーリエに何かとつっかかってくる。カカオのプランテーションで行われている人身売買や児童労働へ抗議運動の時など、スーパーのチョコレートにこっそりシールをはろうとしているのを店員に見つかりそうになったエミーリエが、誤魔化すために仕方なくチョコレートを買って戻ってくると、皆の前で激しく文句を言いだした。ひょっとしてアウロラもアントニオのことを好きなんじゃ? アントニオに好意を抱き始めていたエミーリエは、次第に不安をつのらせていく。

工場で長時間労働が行われているアップル社への抗議運動など、グループが地道な活動を続ける中、グループを揺るがす事件が起きた。チョコレート会社の広報部長と清掃員の車の窓ガラスがわられ、車の側面にペンキで、『世界を救おう』といたずら書きがされていたのだ。一体誰がこんなことを?

鶏への虐待に反対し、養鶏場に忍びこもうという日に、グループの活動に突然参加することになった男性新メンバー、シメンが、グループの方向性をはき違え、活動は次第に過激化していく。そのことに危機感をつのらせたメンバーのラーシュやリーセが、グル―プを離れると言い出すなど、グループ内に不協和音が生じはじめ……。

児童労働や過酷な長時間労働、グローバル化による経済格差、残虐でずさんな食肉産業の実態などの問題を、恋愛や友情模様を交えながら、みずみずしく描いた青春小説。スリリングで面白いのに、深く考えさせるので、エンターテイメント作品としても楽しめ、同時に読書感想文の題材としても有益では。

著者情報

シモン・ストランゲル(Simon Stranger)

一九七六年、ノルウェーのオスロに生まれる。オスロ大学で哲学と宗教史を学んだ後、作家校校に一年通う。

二〇〇三年、国際貿易により生まれる格差と貧困の問題を扱った大人向けの小説、『この一連の出来事を僕らは世界と呼んでいる』でデビュー。

二〇〇六年、子ども向けの読み物『イェンガンゲル』で、リクスモール協会児童書賞を受賞。その作品は現在九か国語に翻訳されている。

YA『バルザフ』が翻訳されている七か国のうちパレスチナに赴き、現地の子どもたちや大学生と作品について議論をした。『バルザフ』のアラビア語への翻訳書が二〇一二年IBBY(国際児童図書評議会)オナーリストでパレスチナの最優良翻訳作品に選ばれる。

アジアやアフリカのスラム街を旅したり、 世界の貧困の問題や大気汚染をなくすための運動や、中国で障害者への支援活動に参加したりした経験をもとに書い本書をノルウェーで二〇一二年三月に発表。現在服飾デザインの仕事をしながら、ヴェトラムにフェア・トレードの縫製工場をつくるプロジ ェクトにも参加してい る作者は、問題の解決は一朝夕にはなしえないということを日々痛感 している。

著者あとがき

日本の読者のみなさんへ

今ぼくはノルウェーの首都オスロの郊外にある自宅のバルコニーで、潮風をほおに感じながら、この文章を書いています。地球の向こう側の日本で暮らすみなさんが、この本を手にとってくださっているところを想像すると、不思議な気持ちになります。また同時に、さまざまな人への感謝の思いと、喜びの感情がわき上がってきます。ぼくは一人じゃないんだ、そう思えます。ノルウェーに暮らすぼくたちだけでなく、大陸の向こうにいるみなさんがぼくと同じ思いを共有しているのだと。
ぼくらが持つこの思いの根底にあるのは、ごく単純なものです。それはぼくらの心に生まれつつある違和感です。日常生活への違和感。ぼくたちの生活はどこかまちがっているのではないかという思いが、次第にふくらんできているのです。この違和感をなくそうと、自分たちの買う品物がどこでつくられ、どこから輸入されたものなのかを意識する人が増えてきています。ぼくたちの身の回りにあるものの背景に、どんな人生の悲喜こもごもがひそんでいるのかを知りたいと思う人たちが。そのような違和感や意識、思いからこの小説は生まれました。
ぼくがはじめに違和感を覚えたのは、裏事情があるとすでに世間で知られていた、チョコレートに対してでした。そこからさらに興味は広がっていきました。ぼくのズボンに使われている綿花はだれがつんだものなんだろう? うちの子どもたちのTシャツをぬったのは? 携帯電話に使われている鉱物や鉄鋼を採掘したのは、だれ?
こんなことを考えたり、おもちゃやTVやコンピューターがどこでつくられているのかを本で調べたりしていくうちに、霧が晴れるようになぞが解けていきました。同時にいだいていた疑念が、確信に変わるのを感じました。いえ、現実はぼくが思っていた以上に悲惨なものでした。
世界には、スラムに暮らす人がたくさんいます。その多くがぼくらが日常生活の中で使っている製品の原料をつくっています。そういう人たちの中には未成年の子や、親元をはなれ工場の寮でねとまりしたりしている人もいます。電池や携帯電話、コンピューターに使われているコルタンを採掘するため、コンゴの鉱山で働いている人もいます。中国の工場で目覚まし時計やiPadやハード・ディスクや体重計の部品をつくっている人も。大きなおけで綿を染める人や、エビの殻をむく人、機械を動かすのに必要な石炭をほる人。ぼくらが日々生活できるのは、そういった人たちのおかげです。しかしぼくらはそのことを分かっているようで分かっていません。
これらはグローバル化と価格競争がもたらした結果です。私には関係ないと言う人もいるかもしれません。でもこれはぼくたちが生きるこの世の中で起きている問題なのです。
一つ、覚えておいてください。君たち個人に、直接の責任はないってことを。時々ぼくは若い人たちがこの本を読むことで、行き過ぎた罪悪感をいだいてしまうのではないかと心配になります。過度に責任を感じ、自分をさげすんだり、悲観的になったりしてしまうのではないかって。若いころのぼくが、ちょうどそうだったように。
そんな風に君たちが感じても、世の中は何も変わりません。世界のどこで生まれるかは、自分たちでは選べません。それにグローバル化された世界の構造は、個人の力で変えることは困難です。グローバル化はみんなで立ち向かわなくてはならない問題なのです。状況を変えるため、まずは問題があることを知り、事実として受け入れなくてはなりません。ぼくがこの小説を書いたのは、そのためです。
ぼくは日頃、フェア・トレードのコーヒーを買うようにしています。作家業のかたわらしている縫製の仕事では、ベトナムや中国の良識的な生産者から仕入れた布を使うようにしています。ただそういった生産者は実際のところ、ごく少数です。
この作品の中に出てくるH&Mは、ノルウェーでは一番大きな洋服チェーンの一つです。H&MグループはH&Mだけでなく、COSやWeekday(いずれも日本未出店)などのブランドも展開しています。それらの店舗は、世界各地にあります。このグループには、社会的な責任があります。下うけ業者をすべては把握していないなんて言い訳は通用しません。彼らには、それを把握しておく義務があるのです。さらに彼らはこう言うかもしれません。自分たちは労働者に対し、最低賃金をはらっているって。でもこの言い訳も通用しません。なぜなら企業側はその最低賃金で労働者が生活できないということに、気がついているはずだからです。このようなことは今後は許されません。時代は変わったのです。
どの人もショッピングの帰りに、これは一体どこでつくられたんだろう? と不安になったり、罪悪感をいだいたりはしたくないはずです。またチェーン店側も、奴隷労働の後押しをしたいと思ってはないでしょう。今こそ変わるべき時です。先進国の消費者としてぼくらは着かざることばかりを気にするのではなく、誇れる行動や暮らしをする努力をしなくてはなりません。これらの努力はむだにはならならずに、問題の解決につながるはずです。君たちも世界を救うために、できることからはじめてください。きっとそれは、必要なことなのです。
二〇一二年十月五日 シモン・ストランゲル
©Simon Stranger *ブログへの掲載は作者に許可をいただいています。

訳者あとがき、さらに知りたい人へ

訳者あとがき

みなさんは安いものは好きですか? おこづかいは限られていますから、安いものを買いたいと思うのは自然なことです。でもほんの時々でよいので考えください。ものの値段が安いということはそのかげで、ぎせいになっている人がいるということを。
二〇一二年の十月、ファスト・ファッション・ブランド、H&Mが生まれたスウェーデンとそのおとなり、ノルウェーで、あるドキュメンタリー番組が放送されました。カンボジアにあるH&Mの下うけ工場で工員が週七十時間にもおよぶ長時間労働を強いられ、最低限の生活を送れるだけの賃金をもらえていないというのです。
それを見たこの本の作者、シモン・ストランゲルさんはH&Mの最高経営責任者(CEO)にメールをして、賃金の引き上げと長時間労働の中止を求めました。すぐに社員から代理で返信があり、九月にCEOがバングラデシュの首相と会談をし、国内の繊維産業の最低賃金引き上げを求めたと書かれていました。その努力を一部認めつつも、十分ではないと感じたシモンさんは、新聞記事やラジオでもH&Mに労働環境の改善を求めました。また改善をしてくれないなら、H&Mの商品は買えないと言いました。
たくさんの人が一丸となって商品を買わないことで、企業に改善を求める運動を不買運動といいます。また作品の中に出てくるような抗議運動も現状を変える手段の一つです。例えば一九九八年に世界的企業であるナイキに対し世界中で抗議運動が行われました。中でもサンフランシスコの人権団体グローバル・エクスチェンジは、インドネシアにあるナイキの下うけ工場の賃金を倍にするよう求め、三週間後にはインドネシアの工員のうち三割の人たちの給料を二十五パーセント上げ、五か月後にさらに六パーセント上げるという約束を取りつけました。ただ作者が作品中で警鐘を鳴らしているように、このような運動は時に過激化することがあるので注意しなくてはなりません。
不買運動をする前に、まずはどの会社で児童労働、奴隷労働が行われているかを調べなくてはなりません。残念ながら日本国内の企業の取り組みについて、体系的に調査・公表をしている団体はほとんどありませんから、企業のサイトなどでチェックする必要があります。中にはそのようなことについて、全くと言ってよいほどど触れていない企業もあります。そういう場合は、直接聞いてみるとよいでしょう。声を上げる人たちが増えれば、企業は商品が売れなくなることをおそれ、重い腰を上げざるをえません。
この作品には、このような縫製産業の実態だけでなく、チョコレート産業で行われている児童労働や人身売買、アップル社の工場での長時間労働、養鶏場におけるニワトリへの虐待、グローバル化による経済格差の問題など、いくつもの問題が描かれています。また物語の最後にリーナの働く縫製工場で起きた事故はフィクションですが、一九九三年バンコク、二〇一〇年バングラデシュ、二〇一二年パキスタンやバングラデシュなどで似た事故が実際に起こっています。
このような状況を変えるために、他にできることはないのでしょうか?
シモンさんはフェア・トレード(発展途上国の原料や製品を、適正な価格で買うことで、生産者にその労働に見合ったお金をはらえるようにする公正な貿易)の商品を買うよう心がけているそうです。みなさんもお家の人にお願いしてもよいでしょう。ただフェア・トレード製品は天災、異常気象、価格の暴落など特に農産物の生産にはらむリスクを消費者や企業が生産者と分かち合うため、通常の製品より少し高い場合があるようです。なのでお家の人には、お金の許す範囲でと伝えましょう。これらの商品を買う人が増えれば、一人一人の負担は減り、価格は安くなります。
シモンさんは企業が改善するだけでなく、世界の国々が国際的な決まりを作る必要性も感じているそうです。例えばアメリカでは、一九三〇年に強制労働によって作られた製品の輸入を禁止する法律が制定されました。また後の改正により、児童労働が関わった製品の輸入も禁止するようになりました。さらに一九八四年の通商関税法で、児童労働によって作られていたり、労働者の権利が守られていなかったりする商品を、諸外国がアメリカに輸出する際、優遇策を受けられないと決めました。日本でこのような決まりを作れるのは主に国会議員です。二十才になればそのような取り組みに熱心な候補者に投票することができます。
また、http://acejapan.org/modules/tinyd5/(児童労働の撤廃と予防に取り組む国際協力NGO、ACEのサイトより)で紹介されているように、児童労働をなくす署名に参加したり、いらなくなったブランド品や商品券を世界の子どもたちに送ったりすることもできます。
また問題を知ることも大切です。この後の、『さらに知りたい人へ』を参考にしてください。シモンさんはFacebookやご自身のブログ、講演などでも、この本で取り上げた問題を語っています。みなさんぜひお友だちやご家族に話してみてはどうでしょう?
そうした小さな積み重ねが、社会全体を変えることにつながっていくはずです。

さらに知りたい人へ

読書感想文を書こうとしている皆さん。以下の書籍、サイト、DVDをみて参考にしてください。より充実した内容の感想文が書けますよ。

《チョコレート産業について》

◆『チョコレートの真実』キャロル・オフ作、北村陽子訳、英知出版、二〇〇七年

◆『わたし8歳、カカオ畑で働き続けて。~児童労働者とよばれる2億1800万人の子どもたち』児童労働を考えるNGO=ACE、岩附由香、白木朋子、水寄僚子著、合同出版、二〇〇七年

《縫製業について》

◆http://www.ethicalfashionjapan.com/2012/06/anti-slavery-intl-01/(エシカルファッション情報サイト、人権保護団体によるアパレル工場の労働報告書について)

◆http://www.ethicalfashionjapan.com/2012/04/20120413-02-h-m/(二〇一一年のH&Mの年次報告書について)

◆http://www.labourbehindthelabel.org/campaigns/itemlist/category/250-company-profiles(英語)(世界の縫製業で働く人たちの労働環境の向上をうったえるLabour Behind the labelのサイト、世界的なアパレル会社による最低賃金を保証するための取り組みについての評価)

◆https://www.hm.com/jp/customer-service/faq/our-responsibility(H&Mのサイト、労働環境の改善を果たす企業の責任について)

《アップル社などの工場について》

◆『中国貧困絶望工場 「世界の工場」のカラクリ』アレクサンドラ・ハーニー作、漆嶋稔訳、日経BP社、二〇〇八年

◆『現代中国女工哀史』レスリー・T・チャン著、栗原泉訳、白水社、二〇一〇年

《食肉産業について》

◆映画『フード・インク』ロバート・ケナー監督、二〇〇八年製作、二〇一一年一月から日本で上映。DVD販売、レンタル中。

《グローバル化による経済格差の問題について》

◆『フェアトレードの時代』長尾弥生著、日本生活協同組合連合会、二〇〇八年

◆『世界の半分が飢えるのはなぜ?』ジャン・ジグレール作、たかおまゆみ訳、合同出版、二〇〇三年

◆映画『ありあまるごちそう』オーストリアのエルヴィン・ヴァーゲンホーファー監督、二〇〇五年製作、二〇一一年二月から日本で上映。DVD販売、レンタル中。

書評など

第46回岩手読書感想文コンクールの課題図書に選ばれました。

思い出

2011年冬、ノルウェーの文学団体Norlaの助成でノルウェーに行きました。Norlaの担当の方がご親切にもエージェントやIBBY Documentation Centerなど様々な機関にアポを取ってくださったおかげで、大変有意義な時間を過ごすことができました。また帰りにはドイツのフランクフルト・ブックフェアに立ち寄り、そこで本作 『このTシャツは児童労働で作られました。』の版元であるCappelen社の版権担当の方とお話する機会を得ることができました。

帰国後も、Cappelen社の方は本を郵送して下さったり、作品のPDFファイルをメールで送ってくださったりと大変親切にしてくださいました。そうした中で出会ったのが本作、 『このTシャツは児童労働で作られました。』です。作品を読んですぐに概要をまとめ、汐文社さんに企画を提案し、刊行が決まりました。

Norlaの方やCappelen Agencyの皆さんのご親切のおかげで、何とかこうして形にすることができ感慨深いです。

またこの作品の素晴らしさを見出し、日本での刊行を実現させてくださった、汐文社の仙波敦子さん、どうもありがとうございました。

最後に素晴らしい作品を創ってくださった上、日本の読者に向けて特別にメッセージまで書いてくださった著者のシモン・ストランゲルさんにも御礼申し上げます。

19. 手で笑おう 手話通訳士になりたい

書影

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『手で笑おう 手話通訳士になりたい』アン・マリー・リンストローム作、汐文社、2012年

作家紹介

アン・マリー・リンストローム(Anne-Marie Lindström)

1933年、耳の聞こえない両親のもとに生まれ、マルメにあったろう者向けの集合住宅で育つ。高校卒業後、スウェーデンろう連盟に勤務。1968年、手話辞典『ろう者のための手話』(Teckenspråk för döva)を編纂。スウェーデン初の手話通訳士養成講座の開講に尽力するなど、手話通訳士制度の発展に寄与した。1980年代後半には、新聞のコラムニストとしても活躍。1987年、『お母さんと私』(Mor och jag)で作家デビュー。IBBY(国際児童図書評議会)障害児図書資料センターの推薦図書に選ばれた。2009年に亡くなった。

あらすじ

耳の聞こえない両親のもとに生まれ、ろうの人と健聴者とを手話でつなぐアン。スウェーデンの手話の発展に尽くした女性の実話。

あとがき

1933年にスウェーデンで生まれたアン・マリー・リンストロームさんは、耳の聞こえない両親と健聴者の弟とともに、ろうの人向けの集合住宅『ろうの家』で暮らしていました。

その家の大人は読み書きが苦手な人が多く、耳の聞こえたアンさんに領収書や手紙や新聞を読むのを手伝うようしょっちゅう頼んできました。ろうの人達は話し言葉を聞くことのないまま、書き言葉を覚えます。そのため文章のつなげ方や助詞の活用、語順、状況に応じた言葉の使い分けに苦労しがちなのです。スウェーデンのろう教育は1809年にすでに始まっていましたが、教育制度や教授法は当時それほど整っていませんでした。そのためろう学校に行ってもしっかりとした教養を身に付けられず、結果賃金の高い仕事に就けず、貧困に悩まされる人も多かったそうです。耳が聞こえたアンさんは、ろうであることに自信が持てなかった大人達にすごい、すごいと持てはやされて育ちました。

ところが小学校三年生の時、ポリオで自由に歩けなくなり、初めて人から助けられる立場になりました。長い入院生活と自宅療養を経て中学校に進学しますが、手話の世界で育ったアンさんは話し言葉や書き言葉が苦手で、授業についていけません。そこで中学校を中退し、通信制の中学校で卒業資格をとることにしました。辛い日々の中でアンさんは、自分にとって手話とは一体何なのか真剣に見つめなおしました。

中学卒業後は、日中に仕事をしながら、夜間高校に通いました。そしてろうと健聴者をつなぐかけ橋になりたいと夢みるようになります。

夜間高校を卒業後、スウェーデンろう連盟で働きはじめました。そこで手話通訳士の教科書や手話辞典を手さぐりでつくりました。また1969年に手話で授業をする国民高等学校をろう連盟がスウェーデンで初めて開きました 。

同じ1969年、手話通訳士の養成講座の開講準備にも携わり、ご自身も参加され、後にご自身も通訳士として活躍されます。当時スウェーデンにもプロの手話通訳士はほとんどいませんでした。手話法も全くと言っていいほど確立されていませんでした。

それから40年以上経った現在のスウェーデンでは、ろうに一番近い存在の人が職場で就業時間内に無料で手話を学ぶ権利が保障されていたり、大学などに手話通訳養成コースが設置されていたりと、手話の学習環境が整っています。また県が各教育機関に手話通訳士を派遣。手話通訳士に生活していくのに十分な給与を支払います。アンさんをはじめとするろう連盟の方々が手話通訳士制度の礎をつくったことが、これらが実現した大きな一因となっています。

逆境にもめげず、見事に夢をかなえたアンさん。本書の日本での出版が、日本のろうの人達を取り巻く環境の改善と社会的地位の向上につながれば、こんなに嬉しいことはありません。

最後に手話やろう者を取り巻く環境について、質問に答えてくださった手話研修センターの小出新一様にこの場を借りて御礼申し上げます。

書評など

  • 第46回岩手読書感想文コンクールの課題図書に選ばれました。
  • 岡山県学校図書館協議会 平成25年度 第59回岡山県読書感想文コンクール指定図書に選ばれました。
  • 第46回YBC(山形放送)読書感想文・体験文指定図書に選ばれました。

18. サイエンス・クエスト 科学の冒険

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『サイエンス・クエスト 科学の冒険―宇宙の生命、死の意味、
数の世界』アイリック・ニュート作、NHK出版、2012年

内容紹介

この本には、だれもが一度はふしぎに思う謎を解きあかすための、たいせつな鍵がかくされている。
たとえば…
Q1.地球以外の星に、生きものはいるんだろうか?
Q2.なぜ、みんないつか死ななければならないんだろう?
Q3.算数とか数学って、生活のなかで役に立つんだろうか?

ぼくたちひとりひとりの一生は、宇宙の長い歴史から見たら、ほんのまばたきくらいの時間でしかない。
でも、ずっとむかしから、その短い一生のあいだに、人はわからないことをあきらめずに、答えを追いもとめた。
それでもまだまだ謎はのこっている。その答えを見つけるのは、ぼくたちの楽しみだ。さあ、旅に出よう、はてしない科学の冒険だ。
北欧の人気サイエンス・ジャーナリストが、10代に向けておくる”思考するための”科学入門書。

『嵐にしやがれ』や『リアルスコープZ』(2012年9月1日放送、『科学界のインディ・ジョーンズ、長沼毅の科学SP』)科学界のインディ・ジョーンズ、生物学者の長沼毅氏解説。

(生物学者・広島大学准教授 長沼毅氏の「解説」より抜粋 )
ノルウェーは子ども向けの科学本の出版にとても熱心だそうだ。ニュート氏がノルウェーの子どもへの科学教育で大きな役割を果たしていることは間違いない。生物学を専門とする私にも、この本に書かれている生物学の記述はすばらしく、私自身もわくわくしながら読んだからだ。特に本書のなかでもパート1「となりの星にE.T.はいるのか」は圧巻である。

作家情報

(作者)

アイリック・ニュート(Eirik Newth)

作家、科学ジャーナリスト、翻訳家。1964年ノルウェーのオスロに生まれる。

オスロ大学で天体物理学を専攻。これまで『世界のたね』、『未来のたね』(NHK出版)、『星空の神秘』『太陽~ぼくたちの恒星』(日本語未訳)などの著作がある。

『世界のたね』でブラーゲ賞最優秀作品賞と、ノルウェー文化省最優秀ノンフィクション賞を、『未来のたね』でノルウェー文化省最優秀ノンフィクション賞を受賞。そのほか、北欧学校図書館協会児童書賞など多数の児童書賞を受賞。

その著作は、19か国語に翻訳されている。テレビの科学番組にも多数出演。科学ノンフィクションについての講演活動も精力的に行っている。

あとがき

一九七一年二月五日、小学一年生だったニュート少年は、父の勧めで、学校を休み、アポロ十四号から月面に降り立つアメリカ人宇宙飛行士たちの姿を、テレビにかじりついて観ていたそうです。一九六一年から七二年の十一年間で、NASAのアポロ計画により、宇宙飛行士たちが六回も月に着陸した当時の人たちは、それくらい宇宙に夢中だったのですね。
大学で天体物理学を専攻したニュート氏は、作家、翻訳家、科学ジャーナリスト、テレビ解説者として活躍するようになります。

今も暇さえあれば、宇宙人や幽霊、二次元の世界など、世の中のおもしろいことについて妄想するという作者にとって、それらの仕事は、まさに天職だったのでしょう。その作品はあわせて、すでに二十一か国語に翻訳され、ブラーゲ賞をはじめとする国内の様々な賞を受賞し、さらにドイツ児童文学賞にノミネートされるなど、海外でも話題を呼んでいます。

日本でも、科学史を分かりやすく紹介した『世界のたね』と、未来の科学がどう進歩していくかを予想した『未来のたね』が出版され、たくさんの人たちに支持されています。

世界中の読者からの熱い声援にこたえ、ニュート氏が書いたサイエンスシリーズ『宇宙に生きものはいるのか』(”Liv i universet”)、『ぼくたちは、なぜ死ぬのか』(”Hvorfor dør vi?”)、『数の世界』(”Tallenes verden”)を、日本での出版に際し、1冊に編みなおしたのが本書『サイエンス・クエスト 科学の冒険』です。小・中学生から大人まで、幅広い読者に親しんでもらえるよう、豊富なイラストや写真をまじえ、前作、前々作以上にやさしい言葉で書かれています。

今回テーマになっているのは、読者のみなさんが、きっと一度は夢みたことがある「宇宙人」や、ふとした時に、つい想像して、恐くなったり、不安になったりしてしまう「死」、それから「数」です。

「宇宙人」と「死」については、学校で、ほとんど習わないかもしれません。でも、前もって知識をつけておかなくても、理解できるよう書かれているので、安心してください。

「数」については、学校で勉強して、苦手意識をもっている人もいるかもしれません。でもこの本に書かれているおもしろくて、おかしな数の世界の話を読めば、そんな嫌なイメージなど、吹き飛ばされることでしょう。

この本の中のニュート氏は、先生や解説者というよりは、楽しい冒険旅行に連れて行ってくれる、ナビゲーター役です。世のなかにあるおもしろいことを、人に伝えるのが好きな作者の、楽しい気持ちが伝わって来て、読みおえるころには、頭が痛くなるどころか、胸がわくわくしているはずです。「世界は、なんてなぞめいていて、おもしろいんだろう」って。

すでに世界のたくさんの読者が、この科学の冒険に魅せられています。たとえばロシアでは、絵画コンクールが開かれ、七百人もの子どもたちが、この本から思い浮かべた宇宙人を、絵にしたんだそうです。また『ぼくたちは、なぜ死ぬのか』に対し、北欧学校図書館協会児童書賞も与えられました。

本書を出版するにあたって、広島大学の長沼毅先生と鈴鹿工業高等専門学校の堀江太郎先生が、翻訳原稿のチェック、アドバイスをしてくださいました。さらに長沼先生は巻末の解説も執筆してくださいました。どうもありがとうございました。また、日本の読者に読みやすい本を作るため、ご助力くださった、編集の猪狩暢子さんと塩田知子さんにも、この場を借りて御礼申し上げます。

二〇一二年三月
枇谷玲子

書評など

  • 『サイエンス・クエスト―科学の冒険』が静岡新聞で紹介されました。

 

16. ひみつのおかしだ おとうとうさぎ!

書影

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ひみつのおかしだ おとうとうさぎ! 2012/1 ヨンナ・ビョルンシェーナ (著), 枇谷 玲子 (翻訳)

書評など

  • クーヨン2012年3月号(クレヨンハウス)の絵本タウンのコーナーで、『ひみつのおかしだ おとうとうさぎ!』が紹介されました。
  • ダ・ヴィンチ2012年7月号で『ひみつのおかしだ おとうとうさぎ!』が紹介されました。
    http://ddnavi.com/news/65205/
  • おとうとうさぎのHPが開設されたようです。http://www.familjenkanin.com/start.html(スウェーデン語)

15. ママ!

書影

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『ママ!』キム・フォップス・オーカソン作、高畠那生 、ひさかたチャイルド、2011年
http://www.hisakata.co.jp/book/detail.asp?b=5029(出版社サイト)

あらすじ

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ぼくのママは、くいしんぼうで、太ってる。バスにのっているときも、町をあるいているときも、ぼくははずかしくてしかたない。だってママは、ざせきをひとりでせんりょうしてしまうし、数百メートル先にある屋台のにおいも、かぎつけちゃうんだもん。

そこでぼくは、ママにこうていあんする。
「たまには、にんじんでも 食べたら?」
でもママはゾウみたいに大きな体で、「わたしは、ウサギじゃないのよ。わたしは、ママよ」っていうばかり。

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うんざりしたぼくは、ある日となりにひっこしてきた、きれいな女の人にきいてみた。
「あの、すてきな男の子はいりませんか?」
すると女の人は、じょうけんをだしてきた。
「いいわよ。ただし、わたしのことを、ママってよぶこと」

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ぼくは夕はんのあと、さっそくママってよぼうとした。でも……
「ごちそうさまでした、マジョ、マルチーズ、マッチョマン……」
あれあれ。いったいぼく、どうしちゃったんだろう!?

☆イラストはイラストレーターの高畠さんに許可を得て掲載しています。転載はご遠慮ください。©Nao Takabatake

作家情報

キム・フォップス・オーカソン(Kim Fupz Aakeson)

おじいちゃんがおばけになったわけおじいちゃんがおばけになったわけ絵本ナビ

1958年デンマークのコペンハーゲン生まれ。1982年に漫画を出版した後、1984年に児童文学作家としてもデビュー。映画やラジオ・ドラマや舞台の脚本、大人向けの小説の執筆など、幅広い分野で目覚ましい活躍をしている。

脚本を手がけた映画『パーフェクト・センス』は2012年1月より、日本でも公開(監督はデヴィッド・マッケンジー、主演はユアン・マクレガーとエヴァ・グリーン)。BAFTA(英国アカデミー賞)スコットランド・アワード2011の最優秀映画賞、最優秀監督賞、観客賞にノミネートされる。

1998年にオランダの銀のキス賞を受賞、2001年にドイツ児童文学賞にノミネート、2005年にベルギーのBernard Versele賞を受賞するなど、児童書作家としても世界各国で高い評価を受けている。

邦訳に『おじいちゃんがおばけになったわけ』(あすなろ書房)、『個性を考える わたしの赤ちゃん―ビッグサプライズ』(今人舎)がある。特に前者は話題を呼び、別冊太陽『この絵本が好き! 2006年度版』(平凡社)のアンケートで海外翻訳絵本の第1位に選ばれ、国語の教科書にも掲載された。

画家情報

『ママ!』のイラストを手掛けてくださった高畠那生さんのご紹介です。高畠さんはMOE絵本屋さん大賞2010で『でっこりぼっこり』が、29位に選ばれるなど、とても人気のある作家さんです。

高畠那生(Nao Takabatake)

1978年岐阜県生まれ。絵本作家。

2003年に『ぼく・わたし』(絵本館)で絵本作家デビュー。ユーモアあふれる独自の画風で、子どもから大人まで幅広い層で作品が読まれている。著書多数。

主な作品に、『チーター大セール』『でっこりぼっこり』(以上、絵本館)、『だるまだ!』『あるひ こねこね』(以上、長崎出版)、『クリスマスのきせき』(岩崎書店)、『せきとりしりとり』(文溪堂)、『ありんこ方式』(フレーベル館)などがある。

http://www.nao-takabatake.com/(高畠さんHP)

http://www.ehonnavi.net/specialcontents/welcome/20110810/(絵本ナビのインタビュー)

http://mi-te.jp/contents/cafe/1-1-1094/ (ミーテのインタビュー)

でっこりぼっこりでっこりぼっこり絵本ナビ
クリスマスのきせきクリスマスのきせき絵本ナビ

☆書影2点は、EhonNaviに掲載されていたもので、リンクフリーだそうです。

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☆上の写真2点は経堂のURESICAさんから許可を得て掲載しています。

読み聞かせの際のポイント

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  • 見返し部分には、「マ」ではじまる言葉のイラストがいっぱい。「これ、何だ?」と指差しながら、親子でクイズを出し合うのも楽しいですよ。
    中にはちょっと難しいものも。分からなかったら、巻末の著書紹介の上に答えが載っているので、見てみてくださいね。

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  • 大きなママの登場です! 人だけでなく、犬までもママのことをジロジロ見ています(イラストにはこういった「遊び」の要素がたくさん隠れていますから、探してみてくださいね)。
    でもママは気にしません。ママはふとっているからって、卑屈になりはしないのです。それを証拠に、服やアクセサリーも色鮮やかでおしゃれでしょう? みんなの注目をあびたって、いいんです。だって、ママはママなんですから。
    一方、主人公の「ぼく」はまわりの目を気にして、ビクビク、オドオド。お子さんと自分らしくあることの大切さについて、ぜひ話し合ってみてください。

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  • ホットドッグ屋さんで、いったいママはフランクフルトとホットドッグとハンバーガーを何個食べたのでしょう? 親子で数えてみてくださいね。

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  • ぼくが、おとなりの女の人をママとよぼうとすると、なぜかマではじまる別の言葉になってしまいます。「これはマラソンだね。これはマキジャクだね」などと、対話しながら、読み進めると楽しいですよ。

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  • ママのつくる料理にもご注目を。ママは結構マメに手作りをするみたいです。量が多すぎるのは、タマにキズですが……。こんなところからも、ママの深い愛情を感じとることができます。ぼくはママが大好き、そしてママもぼくが大好きなんです!

☆イラストはイラストレーターの高畠さんに許可を得て掲載しています。転載はご遠慮ください。©Nao Takabatake

書評など

ママは……

  • イラストを描いてくださった高畠那生さんが、2011年12月に経堂のギャラリー「ウレシカ」にて、原画展をしました。『ママ』をはじめとする絵本の原画、描きおろしの絵や立体作品など展示されました。
    http://nao.washizukami.com/?month=201111(高畠さんHP内お知らせ*リンクは許可を得ています)
  • 作家のキム・フォップス・オーカソンさんが脚本を手掛けた映画『パーフェクト・センス』が2012年1月から日本でも公開されています。主演はユアン・マクレガーさんとエヴァ・グリーンさん。監督はデヴィッド・マッケンジーさん。
  • クーヨン2012年3月号(クレヨンハウス)の絵本タウンのコーナーで、『ママ!』が紹介されました。
  • 『子どもの本』2012年3月号で、『ママ!』についての紹介記事を書かせていただきました。
    http://www.kodomo.gr.jp/kodomonohon_article/1295/
  • 『2012年CBLおもしろい図書館』で、『ママ!』の翻訳作業についてお話しさせていただきました。
    http://www.cblnokai.com/pages/sales
    (お話しの内容)

日常の小さな喜びや愛情を大切にしたい…

 私には今年5歳になる娘がいるのですが、子どもと一緒にいると学ぶことがたくさんありますね。原っぱに行くだけでも、バッタを捕まえようとしては喜び、タンポポの綿毛をフーっと飛ばしては目を輝かせている。娘を見ていると、「生きるって楽しいんだ」って気づかされます。子どもの世界には、生への根源的な喜び、価値が集約されているような気がします。もちろん成長の過程で、悲しみや屈折もたくさん味わうんですけど、根源の部分で世界を肯定できるかどうかは、とても大事なことですね。
翻訳する作品を選ぶときも、私は日常のなかにある小さな喜びや愛情に気づかせてくれるものに目が向いてしまいます。
『ママ!』は、自我の芽生えが始まった男の子の、お母さんへの悩みと愛情をユーモアたっぷりに描いたお話です。途中、男の子は「ママ」と言おうとしてどうしても言えず、「マ」で始まる言葉をいくつも言ってしまうシーンがあるのですが、ここには特に気を配りました。子どもって、たとえ意味がわからなくても響きが面白い言葉に出会ったり、言い間違いに気づいたり
すると、楽しそうに笑うんですよね。こんなところでも、この作品を楽しんでもらえたら、うれしいです。

思い出

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『ママ!』は訳者がデンマークに留学中の2003年に、デンマーク教育大学の児童文学センターの研究者の方達が薦めてくださった作品です。この本の話をする時、みな自然と顔がほころんでいたのが印象的でした。

当時大学と並行して通っていた、語学学校の授業で、私はこの本を朗読しました。その学校の生徒の大半は、戦火を逃れてやってきた避難民でした。壮絶な体験を経て、「生きる」ためにデンマークにやって来たクラスメートに対し、日本のような平和な国から来た私は、どこまで踏み込んで話をしたらよいか、測りかねていたところでした。

ところが、この絵本を朗読した途端、たちまちみんなが「面白い!」と声を上げて笑ってくれたのを見て、「例え、育った国の文化や社会情勢は違っても、心は通じ合うはず」――そう強く感じたのでした。

帰国してから、この本を日本に紹介できるまでには、長い年月がかかりました。才気溢れる人気画家の高畠さんが描いてくださったユーモラスでダイナミックなイラストと、エレガントで鋭い感性をお持ちの装丁家、金内織恵さんによる趣向を凝らしたセンスの良い装丁のおかげで、「ねえ、読んで!」と自信を持ってお勧めできる、素晴らしい作品に仕上がりました。高畠さん、金内さん、本当にどうもありがとうございました。

そして何より、ここまで導いてくださった、ひさかたチャイルドの佐藤力さんに、この場を借りて、御礼申し上げます。

☆上の写真は訳者が撮影したデンマーク、コペンハーゲンの市庁舎前広場の風景です。