『ウッラとベンディック町をつくる』(Ulla & Bendik bygger by)、オーシル・カンスタ・ヨンセン(Åshild Kanstad Johnsen)

『ウッラとベンディック町をつくる』(Ulla og Bendik bygger by)、オーシル・カンスタ・ヨンセン(Åshild Kanstad Johnsen)、Gyldendal Norsk社、 2016年、40ページ
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町づくりを子どもの視点からのびやかにまた鋭く描いた絵本です。ノルウェーの新聞Dagbladet紙のレビューで6つ☆を獲得しています。
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(あらすじ)
 遠い町から引っ越してきたウッラいう女の子が、集合住宅の近くのベンチで
ジャングルについての本を読んでいた男の子ベンディックに話しかけました。
「わたしはジャングルからひっこしてきたのよ」
 けげんそうな顔をするベンディックウッラはこう言いなおします
「ジャングルみたいな町っていったほうがいいかしら。木の上に家があって、
学校にいくきに木のみきをつたっておりたり、吊り橋をわたったりしたわ。
ラやライオンもいて、いつおそわれるかわからないから、車は空をぶの」
ベンディックはそんなわけない、本をよみつづけました。
たいくつしたウッラベンディックの本をじるいいました。
「この町ってつまらない。車やショッピングセンター、駐車場、
マンション、どれもこれも四角くて灰色じゃない!」
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出典(Kilder):http://www.barnebokkritikk.no/pa-gjenoppdagelsesferd-i-voksenverdenen/#.VwrmZDCLQ9Z
「この世界にはいろいろな形や色があるのに!」
ウッラはさけびました。
「そうだ、いいこおもいついた。じぶんたちで町をつくりかえればいいのよ!」ウッラ
「子どもにそんなこできるわけないだろ」ベンディック
「どうしてよ? 大人より子どものほうがずっおもしろいこをかんがえつくじゃないの。
子どもが町をつくるべきよ!」
「あ、そう。がんばって」ベンディックは家にかえろうしました。
ウッラがあをおいかけます。
 ベンディックのおうさんはウッラにもゆうはんをだしてくれました。
ウッラは魚の上につけあわせのブロッコリーじゃがいも、グリンピース、
にんじんをおく、「公園みたいでしょ」いいました。
するお父さんが「食べものであそんじゃだめだよ!」注意しました。
 そのあベンディックウッラを子ども部屋にあんないしました。
机の上にはスケッチブックがありました。
 スケッチブックにはベンディックのかいた町の絵がありました。
「物語でよんだ町を絵にするのがすきなんだ」ベンディック
するウッラがさけびました。「わたし、こういう町にすみたい!
木のぼりしたり、ボーをこいだり、坂をのぼったり、おもいっきり自転車をはしらせたりできるもの!」
「町づくりをしている人たちに、はなしてみようか」ベンディック
 ふたりはどんな町にすみたいか、はなしあいました。
「四角いだけじゃなくて、いろいろな形のたてものがあったほうがいいわ」
「小高くなっていたり、かくれたりできる場所があってもおもしろいよね。
噴水もほしいな!」
「それに高い木も。ツリーハウスや橋はどう?」
「車専用のレールもつくる?」
「町の中に遊園地もあったら楽しいね」
「町のあちこちに無料のジュース・サーバーをおきましょうよ」
「でもそうしたら歯医者さんがもっひつようになるよ」
「地下にも秘密の部屋や洞窟をつくりましょうよ。秘密の階段や
エスカレーターも」
 つぎの日、ベンディックが石のコレクションであそんでいる
ウッラがあらわれました。ごみ捨て場からひろってきたガラクタをつかって
町の模型をつくったのだそうです。
「それはぼくらの町じゃない。きみの町だ」
ベンディックウッラがかってにひりで模型をつくったこ
きにいりませんでした。
「でもきのうはなしあったアイディアをもにつくったのよ」
 その時ウッラはバランスをくずして模型をおしてしまいました。
ふたりはちらばったがらくたをかたづけながら、もういちど
町の模型をつくりはじめました。
 ペンキで色をぬったり、ボンドでくっつけたり。
 次の日、ふたりは市役所の担当者をたずねました。
 模型をみせ、プレゼンテーションをします。
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出典(Kilder):http://www.dagbladet.no/2016/02/06/kultur/pluss/ekstra/litteraturanmeldelser/anmeldelser/42994575/
 担当者は「すばらしいアイディアだけど、子どもが町をつくるなんて
きいたこはないわ。町づくりにはいろいろな法律やきまりがあるのよ」いいました。
「じゃあその法律っていうのを今しらべてください!」ウッラは叫びました。
担当者は子どもが町をつくってはいけないって決まりがないこきがつきました。
「いままできみたちみたいなこをいってきた人はいないよ」
「それは皆カーテンや窓をしめきって、じぶんたちのくらす町に無関心だからでしょ。
町がこんなに灰色でどんよりしているに、どうして大人はきがつかないの?」
 担当者ははっして、自分のくらしをふりかえってみました。
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出典(Kilder):http://www.barnebokkritikk.no/pa-gjenoppdagelsesferd-i-voksenverdenen/#.VwrmZDCLQ9Z
 仕事が終わるエレベーターで市役所の地下の駐車場にいき、車にのりこむ
子ども達をむかえにいきます。スーパーでかいものをおえる
マンションの地下の駐車場に車をめます。それからエレベーターで部屋にいき、夕飯をつくって
食べ、テレビをみて、ねる。窓の外をながめるこなど、たしかにほんどありません。
 担当者はいいました。
「今度港の近くの一角を再開発する予定なんだ。
古いお店がみな閉店してしまってすたれてしまっているからね。
町の人たちにきみたちのアイディアをつたえてみるよ」
「やった、約束だよ!」
ウッラベンディックびあがってよろこびました。
(看板の文字)
ウッラベンディック工事中
1年後
ウッラとベンディックの町ができあがりました!
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出典(Kilder):http://www.litthusbergen.no/program/2016/05/aashild-bygger-by/
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(この本の素晴らしいところ)

 大人になると時に思ったことを率直に言えず口をつぐまざるをえないことがあります。この作品では、子どもが主人公だからこそ大人が言えないこと、忘れてしまったことを鋭くえぐり出せているように思えます。ウッラとベンディックは市役所の町づくりの担当者に、大人たちがカーテンや窓をしめきって、じぶんたちのくらす町に無関心で、町が灰色でどんよりしていることに気がつかないんじゃないかと言います。その言葉を聞いた担当者は、仕事と家を往復するだけで町を眺める心のゆとりがない自分たちの生活を振り返り、はっとさせられるのです。

 町づくりをテーマにした絵本には、他にこんな作品があります。
ぼくのまちをつくろう! ぼくのまちをつくろう!
作:スギヤマ カナヨ出版社:理論社絵本ナビ
 http://bhjinbocho.exblog.jp/23700751/(ブックハウス神保町のホームページより)
http://www.rironsha.com/?mode=f58(理論社ホームぺージより)
 ワークショップも行われているようで、とても楽しそうです。
 私もこの本を小学校の読み聞かせに使ったことがあります。オーシルさんの作品が現実と夢の中間だとすれば、この作品は子どもの夢をファンタジックに描いた作品と言えるでしょう。ただ1つだけ難しいと思ったのは、建物の形がどれも四角くて一見しただけでは、どの絵がどの建物を指しているか分からないところです。かなり小さな絵本で、建物1つ1つが小さいので、教室での読み聞かせに使うのは難しい面があるように感じました。家で読んだり、ワークショップに使うには最適の作品なのでしょう。
 一方、オーシルさんの作品では、建物の色も形も斬新で、どの絵が何の建物をあらわしているのか一目瞭然ですので、読み聞かせにも使いやすいと思います。もちろんワークショップもできそうです。
 またこんな作品もあります。
ぼくたちのまちづくり 4 楽しいまちなみをつくる ぼくたちのまちづくり 4 楽しいまちなみをつくる
出版社:岩波書店絵本ナビ
  町づくり計画コンテストに小学校の子ども達が参加する話なのですが、この作品は絵本というより読み物に近く、読み聞かせ用につくられたわけではありません。また今回の作品以上に現実的に町づくりが描かれています。
 オーシルさんの作品では、市役所に直談判に行くという現実的な手順が踏まれている割には、2人の意見があっさり通ってしまうところが、少し不思議に思えました。というのも私も娘が保育所に通っている時に保護者の会から年に一度市に提出する要望書に、保育所の門が重くて両手で開けなくてはならず、その間に子どもが道路に飛び出してしまうので、門を軽いものに変えるか、車が侵入しないようボラードをつけてほしいと書いた際、要望が通るまでに時間がかかったからです。
 ただ現実をそのまま絵本の世界で描く、つまらないものになってしまうのかもしれません。
 ウッラとベンディックがつくったのは、子どもたちが遊びやすい町でもあります。今、日本では公園でボール遊びをしてはいけないとか、様々な規制があり、子ども達の遊び場が減っています。
http://ure.pia.co.jp/articles/-/37133(“遊べない子”が増えた!? 公園の「禁止事項」増加が子どもの心に与える影響)
http://women.benesse.ne.jp/akuiku/riyu/index4.html( 子どもの環境変化と遊びの重要性)
https://www.posa.or.jp/outline/pdf/tokyo04-info141203.pdf(まちづくりからみた遊び環境の実態、課題)
 大人が一生懸命に遊び方を教えずとも、子どもは何でも遊びに変えてしまう遊びの天才です。その子ども達が今、遊ばなくなっている(もちろんそれでも遊んでいる子は一杯います)というのは、私達大人が作り出した社会環境により彼らの行動が相当に制限されているということなのではないでしょうか。
 私の娘の学校では保護者会の時間に、地域の方たちや保護者がボランティアで子ども達に小学校の体育館でボール遊びやトランポリンなどをさせる活動が行われていていて、うちの娘もその時間をとても楽しみにしています。とてもありがたいです。
 ただ子どもが大人の手を借りずとも毎日、安全に遊べる環境があったらどんなにいいかと願う気持ちもあります。
参考:http://reikohidani.net/1456/(ミンダナオの子ども達について、松居友さんのお話)

プロクトル博士のおなら薬(Doktor Proktors Prompepulver)、ヨー・ネスビュ/ジョー・ネスボ(Jo Nesbø/Jo Nesbo)

プロクトル博士のおなら薬(Doktor Proktors Prompepulver)、ヨー・ネスビュ/ジョー・ネスボ(Jo Nesbø/Jo Nesbo)

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(Kilder:画像出典エージェントサイト:http://www.salomonssonagency.se/books/doktor-proktors-prompepulver

作者のミステリ『スノーマン』が2017年10月13日に全米公開される。

 

作者インタビュー:

子どもに向けて書く際も、大人に向けて書く際も、「良いお話」が共通して求められる、と語られている。作者は娘さんに物語をつくって読み聞かせをしたことが何度もあるらしく、「相手が子どもだろうと、つまらなければつまらないとはっきりと態度で示される」と述べている。

http://www.youtube.com/watch?v=3582bgy7Abk&feature=channel

作者は子どもの頃、ロアルド・ダールの所有するアパートに暮らしていて、夏になるとそのアパートの下の階にダールが滞在していたこと(ダールの両親はノルウェー人。ダールというのはいかにもノルウェー人という苗字らしい)、また彼の作品の大ファンであることなどが述べられている。

CMの映像:

http://gu.com/p/3pcy2/stw(英語ラジオ)では、児童書を書く方がミステリを書くよりも楽しい。ミステリでは様々な要素をまとめなくてはならず、書いていると、オーケストラの指揮者になったような気分になる、と述べている。

(概要、あらすじ)

Download (PDF, 319KB)

 

(ミステリ作家に児童書が書けるのか?)

http://www.dagbladet.no/2016/03/12/kultur/barnebok/litteratur/bok/bildebok/43330807/

上の新聞記事では、北欧のミステリ作家には児童書も書く作家が多くいるが、それは可能なのか議論されている。確かにJo Nesbø、Jørn Lier Horst、Tom Egeland、Tom Kristensen、Unni Lindell、Knut Faldbakken(ノルウェー)、Camilla Läckberg(スウェーデン) 、Yrsa Sigurðardóttir(アイスランド)などのミステリ作家が児童書を書いている。記事では、ミステリ作家は編集者からの声かけで子ども向けのミステリを書くパターンが多い、それはミステリ作家がプロットを組むのがうまく、またミステリというのが先へ先へと読者を誘うのに適したジャンルであるからだ、と書かれている。

ある批評家が、ミステリ作家が児童書を書くのは読者を若いうちに取り込んで、将来自分のミステリの読者を増やそうという下心があるのではないか、ミステリ作家になってからは、児童書をろくに読んでいないのに、子どもの頃の記憶を頼りに児童書を書く、なので彼らの児童ミステリは古臭い、と批判した。

サイト運営者が読んだことがあるのは、Jørn Lier Horst氏のYA、CLUEシリーズ

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(画像出典 Kilder:http://norla.no/nb/books/345

探偵事務所NO.2』(Detektivbyrå nr. 2)シリーズ、

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(画像出典 Kilder: http://www.gyldendal.no/Barn-og-ungdom/6-9-aar/Operasjon-Solnedgang

Unni Lindellの『おばけのネッラ』(Nifse Nella)シリーズ、

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Knut Faldbakkenの『くまのバルデマール―ぼくって、サイコー!』(Baldemar, en fortreffelig bjørn)、

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そして今回のJo Nesbø、『プロクトル博士のおなら薬』だが、個人的に気に入っているのは、最後の2つだ。

前述の批判に対し、作家達は反論。お金のために書いているわけではない。大人向けのものを書いたほうが、より収入は見込める。子どもに読書の楽しみを伝えたいなど、きちんとした動機を持ち、真剣に書いているのだ、と。子ども達は吸血鬼やモンスターなど怖いものが好きだ。でもこの世の中で実際起きうる出来事にも、恐ろしいものはたくさんある。子ども向けのミステリは子どもの世界を広げるものだ、と記事には書かれている。

ブログ管理者が思ったのは、そのジャンルにはジャンルの言葉づかい、描き方があるのではないか、ということだ。児童書だけに取り組んでいる人、児童書を中心に読んでいる人が、ミステリの作家が児童書を書いているのを見ると、自分達の畑を土足で踏み荒らされたような気持ちになるのも無理はない。

なので、ミステリの作家が児童書を書く際、批判はある程度覚悟した方がよいだろう。そしてそれに立ち向かうには、実際によい作品を書くしか道はないのではないかと思えた。そうすれば批判の声は自然と止むだろう。

事実、今回の批判記事には、『プロクトル博士のおなら薬』は悪例として挙がっていなかった。なぜなら、この作品は面白いからだ。例えヨー・ネスビュが”スカンジナビアのミステリ王”と呼ばれていようとも。