『フィンドゥスのキャンプ』(Pettsons tältar)、スヴェン・ノードクヴィスト(Sven Nordqvist)、2015年、ワールドライブラリー https://shop-wl.jp/products/detail.php?product_id=57
(関連グッズ)
北欧語(デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語)翻訳者 枇谷 玲子(ひだに れいこ)HP
『フィンドゥスのキャンプ』(Pettsons tältar)、スヴェン・ノードクヴィスト(Sven Nordqvist)、2015年、ワールドライブラリー https://shop-wl.jp/products/detail.php?product_id=57
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『フィンドゥスが小さかったころ』(När Findus var liten och försvann)、スヴェン・ノードクヴィスト(Sven Nordqvist)、2015年、ワールドライブラリー
https://shop-wl.jp/products/detail.php?product_id=58
(関連グッズ)
フィンドゥスの誕生日(Pannkakstårtan)、スヴェン・ノードクヴィスト(Sven Nordqvist)、2015年、ワールドライブラリー
出典(Kilder):https://www.youtube.com/watch?v=GlSBxAwRl-A
http://www.dn.dk/Default.aspx?ID=2372&PID=10482&NewsID=2341
参考:http://reikohidani.net/1456/(板橋区立美術館夏の教室、都市に暮らす子ども達の遊び環境について)
ママ! |
☆イラストはイラストレーターの高畠さんに許可を得て掲載しています。転載はご遠慮ください。©Nao Takabatake
板橋区立美術館の夏の教室に参加しました。個人的に絵本について感じたこと、考えたことを書いてみたいと思います。ご関心ある方はおつきあい下さい。
今回のお話はどれもとても面白かったのですが、私の心に特に響いたのはフィリピンのミンダナオで子ども図書館を創設された松居友さんのお話でした。とにかく衝撃的でした。
松居さんは笑いながらこうおっしゃるのです。絵本は国境を越えるのか、というのが今回の講座の題目みたいだけど、国境なんて人間が勝手につくったものじゃありませんか? 渡り鳥が空を飛ぶのにパスポートに判子を押してもらうんですか? 大人はありもしないものを勝手に作って、「国境を越えるのは難しい~」なんて悩むんですね。可笑しいですね。
松居さんはさらにこうおっしゃいます。ミンダナオの子ども達は皆、それぞれの物語を持っている。絵本がなくても、人から人へと物語が語り継がれているのだと。お話の生きている社会、語りのある世界、絵本がなくても語るのが当たり前の社会、超自然的なものがいると大人も子どもも信じていて、遊びの世界が巷に生きている社会が今も存在するのだと。大人達が他人の子だろうと自分の子だろうと関係なく、子どもの成長を見守る社会。子ども達が自然の中で駆け回り、たくさんの会話を交わし、笑い合う姿を、周りの大人が喜びをもって受け止める社会。困った人がいたら当然のことのように助ける社会。「煩わしい」、「迷惑」そんな寒々しい言葉が飛び交う今の日本の社会とは対極にあるように思えました。
しかしそんな地に紛争が起きてしまいます。紛争で傷ついた子ども達が松居さん達のストーリーテリングで笑顔を取り戻す映像を見て、絵本の力を再確認することができました。(出典:http://www.edit.ne.jp/~mindanao/documentarysite.html)
松居さんは日本はこんなにも豊かなのに、子どもの自殺率が高い、日本の子ども達の心の貧困の問題をどうにかしなくてはならないともおっしゃっておられました。
子どもに幸せな日々を送って欲しいと思うのは親としてごく自然な感情に思えます。でも今の日本、特に都会で暮らす子ども達は幸せなのでしょうか。そんなことを考えて、時々胸がしめつけられます。かといって今の便利な生活を手放すことはなかなかできないでしょう。混沌とした思いに1つの答えを下さったのが福音館書店の編集者、唐亜明さんのこんなお話しでした。
絵本は都市化、工業化した社会でこそ生きてくる。例えば水牛が身近にいる村で暮らす子ども達は絵本で水牛を見るより、実際乗ってみた方がいい。しかし表に出たら車がびゅんびゅん走っていて遊び場がない、自然がない、そんな近代化した社会に暮らさざるをえない子ども達もいる。そういう子達が絵本を読むことで例えばモンゴルの大草原を知ることができる。生活水準がある程度のところまで達しないと絵本というのは生きてこない。その国の経済がある程度発展しないと絵本は発展しない。絵本は都会の文化から生まれたものだと。農業的な社会で生きられない子ども達に向かって主に絵本は作られているのだと。
参考:http://reikohidani.net/1187/(デンマーク、イブ・スパング・オルセン、子どもと自然、遊び環境について)
ボタ山であそんだころ |
トヤのひっこし |
ブロンズ新社の若月眞知子さんのお話も印象的でした。日本国内だけでなく外国での翻訳出版も視野に入れて活動されているアクティブな出版社さんという印象を受けました。ボローニャ・ブックフェアなどでの海外の出版社との交流を通して多くのことを吸収し、前向きなエネルギーへと変えてらっしゃる方だと思いました。
私が一番大好きな絵本の翻訳は『リサとガスパール』の石津ちひろさんによるものです。
リサのいもうと |
初めて書店でその絵本を読んだ時、素晴らしすぎて一瞬、私の中で時が止まりました。単なるキャラクターものととらえる人もひょっとしたらいるのかもしれませんが、私にはそうは思えません。子どもの目線におりた文、イラスト、そして石津ちひろさんの生き生きとした素晴らしい訳文が私は大好きです。こういう訳文を書けるようになるのが私の夢です。
若月さんのお話をうかがってこういう妥協をしないこだわりのある方が営んでいる出版社だからこそ、こんなに素晴らしい作品を日本に紹介できたのではないかと思いました。また各国の絵本の発展はその国の経済状況に大きく左右されるものだということも分かりました。
ボローニャ・ブックフェアをきっかけに海外と日本両方で絵本を発表しておられるよねづゆうすけさんのお話も私に多くのことを教えてくれました。(出典:http://www.ehonnavi.net/specialcontents/contents.asp?id=26、http://www.ehonnavi.net/specialcontents/contents.asp?id=168)海外と日本のニーズの違いもあるようですが、スイスの編集者さんからもらったアドバイスを非常に前向きに受け止め吸収し、自分のものにする--とても難しいことに思えますが、それを素でできてしまうところがよねづさんのすごいところで、支えてあげたい、もっと彼の作品を伝えたいと編集者さんが思われたのがよく分かる気がしました。
りんごはいくつ? |
のりもの つみき |
にじいろカメレオン |
あいうえお |
他にも広松由希子さん、三宅興子さんの素晴らしいお話も聞くことができました。詳しい内容は板橋区立美術館のHPに掲載されているようです。参加者の方達ともお話できて嬉しかったです。とても充実した2日間でした。ありがとうございました。
板橋区立美術館のしかけ絵本のワークショップに3日間参加してきました。
講師は『サンドイッチ いただきます』(ポプラ社)が2015年 IBBY障害児図書資料センター 推薦図書に選ばれた岡村 志満子さんです。
美術館内の書店では先生の絵本も販売されていました。娘が気に入ったのは、『フルーツケーキ いただきます』。特に女の子に人気で、講座終了後、書店に積んであった本はたちまちなくなってしまいました。先生からサインもいただけました!
講座は子どものみ参加なので、その間館内のカフェで仕事。壁にはボローニャ絵本原画展やその他児童書の情報が一杯! 夏は絵本のイベントが目白押しですね。
ノルウェーの作品がボローニャ国際原画展でSpecial mentionに選ばれたのですね。
2階の展示会場で『どうしてぼくはここにいるの?』( “HVORFOR ER JEG HER?” )の絵本も読むことができました。
出典(Kilder):Magikon社のHPより
画家のAkin Duzakinさんのブログで画像をたくさん見ることができますのでぜひ見てみてください。
『むこう岸には』(ほるぷ出版)を思わせるテイストの、哲学的で根源的な問いに満ちた素晴らしい作品です。
他にも『ハエのアストリッド』のマリア・ヨンソンさんの『遠くから来た女の子』(Flickan från långt borta)の原画も展示されていました。
こちらのサイトで本の中身が少し見られます。
出典(Kilder):評論社のHP、Bonnier Carlsen社のHPより
他にデンマークのRasmus Brenghøjの『イブ・マッセンのおはなし』(Historien om Ib Madsen)
(こちらのサイトで中身を見られます)
スウェーデンのKarin Eklundの『なかよくなれるかな』(Fitting in)なども見つけることができました。
Karin Eklundさんはきっと日本にいつか紹介される画家さんでしょうね。こちらの作品などとても素敵で、うっとりさせられます。
出典(Kilder):http://karineklund.com/portfolio-page/curiosity-cabinet/
こちらも素晴らしいです。http://karineklund.com/my-first-orchestra-app-post/
出典(Kilder):
https://itunes.apple.com/gb/app/my-first-orchestra-app-hd/id568583429?mt=8
http://karineklund.com/my-first-orchestra-app-post/
日本にいながらボローニャに行った気分を味わえました。
できあがったしかけ絵本は持ち帰って部屋に飾っています。とても貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。
今回の展示には入選していませんでしたが、過去にボローニャに入選した北欧の画家さんのうちノルウェーのオイヴィン・トールシェーテルさんは特に素晴らしい画家さんです。邦訳に『なぜイヌの鼻はぬれているの?: ノアの箱舟のふしぎな話』(西村書店)、『穴』(ワールドライブラリー)があり、未訳絵本もたくさんあります。
2014年の9月~フランクフルト・ブック・フェア会場近くの美術館でショーン・タン、しかけ絵本『オセアノ号、海へ! 』が有名なアヌック ボワロベール&ルイ リゴーらの作品とともに展示が行われました。オイヴィンさんは国際的にも評価されている画家さんです。
出典(Kilder):http://www.museumangewandtekunst.de/en/item/id/152
未訳書はたくさんありますが、特にお薦めなのはこちらの作品です。
出典(Kilder):https://www.cappelendamm.no/_barn-og-unge/bildeb%C3%B8ker/vaffelm%C3%B8kk-tore-renberg-9788202408336
http://rosinante-co.dk/historien-om-ib-madsen-id34889
https://books.google.co.jp/books?id=-njkAgAAQBAJ&lpg=PT3&dq=historien%20om%20ib%20madsen&hl=ja&pg=PP1#v=onepage&q=historien%20om%20ib%20madsen&f=false
1場面目 「キュッパは まるたの おとこのこです。なかよしの もみのきの ググランと おばあちゃんの いえに あそびにきました。」というところは、少し絵が小さいのでどの子がキュッパで、どの子がググランかわかりにくいかもしれません。指差しながら読むか、導入で少し登場人物の説明をしてもよいかもしれません。
3場面目 指揮者が登場する場面は、指揮者の体が大きく描かれているせいか、子どもたちに強いインパクトを与えたようです。私は自分の中で指揮者のキャラクターをつくってちょっとこわい感じでセリフを読み上げました。
よこから ググランが 「ぼくは ググランだよ」と いっても しきしゃは 「ああ そうかい」と こたえるだけで どうでも よさそうです、というところでは、「かわいそう」と声を漏らす子や、笑う子もいました。
4場面目 キュッパのおばあちゃんが木琴を叩く姿がふきだしの中に描かれているのですが、この場面は子どもたちの注意をかなり惹きつけることができました。漫画っぽいふきだしが絵本に出てくるのが面白かったのでしょか。おばあちゃんのバチさばきが格好良かったから?
5場面目 1年生のクラスではトランペット、サクソフォンという言葉が分からなかったようです。あまり何度も指差しをするのはよくないようですが、低学年のクラスでは理解を助けるためにやってもよいかもしれません。
7場面目 エルセがキュッパにトランペットの吹き方を教える場面。これはかなり面白かったみたいです。漫画のようにコマに分かれていると、読み聞かせでは使いにくい部分もあるのですが、実際子ども達は関心を持ってくれたように思えます。
8場面目 「キュッパは れんしゅう するうちに……どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん…… ……うまく なりました」というところは、リズムよく抑揚をつけて読めて、子ども達が面白いと思ってくれたのが伝わってきました。
「でんせんに とりが とまっているみたいだ!」というところは1年生のクラスではちょっと反応が薄く、4年生のクラスでは関心を持ってもらえました。1年生にはまだちょっと難しかったのかもしれません。
9場面目は黒いページでキュッパの動きが描かれていないので、子ども達に理解してもらえるかちょっと心配でした。でも実際は、突然黒いページが出てきたのがインパクト大だったようで、子ども達が集中して話に耳を傾けてくれているのが分かりました。「はやく でていけ!」というところ、怖い感じで、どすをきかせて読んだのですが、びくっとしている子もいました。
11、12場面目 キュッパのお皿洗いの場面です。この絵本の場合、ここから特に面白さが爆発して、何人かだれてきていた子ども達の目も再び輝くのが分かりました。子どもってやっぱり音に興味があるのですね。
13、14場面目 キュッパが楽器をつくる場面。子ども達はキュッパに釘付けです。
15場面目 「キュッパの おんがくかいの はじまりです!」この場面は最高だと思いました。こんなに愉快で楽しい場面、なかなかないですね。子ども達はすっかりキュッパの世界に入り込んでいました。
私はPCを持って行って、キュッパのおんがくかいのプロモーション映像を流したのですが、それも評判がよかったです。先生も終わった後、興味津々で、どうして絵本と連動したビデオがあるのか、と質問してくださいました。
16場面目 おばあちゃんがトロフィーを持ってくる場面。やっぱり子どもって、トロフィーや表彰状が好きなんですね。キュッパの喜びやわくわくが子ども達に見事に伝わったようです。オーシルさんの才能に脱帽です。
ドコカ行き難民ボート。 (汐文社) – 2015/4
シモン ストランゲル (著), Simon Stranger (原著), 枇谷 玲子 (翻訳)
(あとがき)
このお話はフィクションですが、サミュエルたちのように海をボートで渡ってヨーロッパを目指す難民は実際にいるようです。
作者のシモン・ストランゲルさんが、原書の最後に挙げている以下のサイトからも、そのことがよく分かります。英語のサイトですが、ぜひインターネットで観てみてください。映像を観るだけでも緊迫感が伝わってきます。簡単に内容をご紹介させてください。
(二〇〇七年、イギリスJourneyman Pictures)
このドキュメンタリ映像の出だしでは、カナリア諸島はヨーロッパの旅行者が多く訪れるリゾート地として紹介されています。観光客が海岸で日光浴をしたり、海で泳いだりと楽しいバカンスを過ごす中、海の向こうからたくさんのアフリカ系難民がひしめき合う粗末なボートがあらわれました。その様子を、目を丸くしてながめる人たち。ボートに乗っていたのはアフリカ、中でもとりわけ多いのは、西アフリカからの難民です。彼らはアフリカからヨーロッパの最も西にある領土であるこのスペイン領、カナリア諸島に、十一日前後の長い日数をかけ、命がけでやって来たのです。ボートは難民らがカナリア諸島に着いて間もなく浸水し、沈んでしまうこともあるほど、粗末で、状態が悪い場合が多いそうです。
かつてはモロッコからスペイン本土に渡る難民が多かったそうですが 、スペイン本土での取り締まりが厳しくなったことから、セネガルなどの南アフリカ沿岸の国からカナリア諸島 という新たな密航ルートがとられるようになったと紹介されています。
港で彼らの救護にあたる、赤十字の職員たち。職員は難民をテントに移動させ、食事を配ります。それほど広くなく、数も少ないテントの中で、映像が撮られた日は、五百人近い難民がひしめき合っていたようです。これだけ人が密集していると、一人が病気になれば、種類によっては、たちまち広まるリスクもあります。難民の人たちは、無事たどり着けた喜びからか、難民同士、また職員とも冗談を言い合い、笑い合う場面も。その中で脱水症状や体温低下、過度の日焼けなどから、手当や治療が必要な難民を職員が見抜き、医療車へと移動させます。その映像ではそれから三日後に、難民たちが一時受け入れ施設に移動させられると報じられていました。
映像には、セネガルに暮らす少年へのインタビューも収録されています。その少年はかつてセネガルから海を渡ったものの、強制送還されてしまったそうです。少年は言います。
「両親は自分のために全財産を投げ打って、密航料を支払ってくれた。なのにそれを無駄にしてしまった。悔しいし、恥ずかしい。セネガルにいても仕事がなくて、家計を助けることができないんだ」
さらにそのドキュメンタリには、首都郊外の大学近くのコンクリートの壁に描かれた、ある絵が紹介されています。それを描いた芸術家がカメラの前で説明します。ボートにたくさんの難民が乗っている絵です。ボートが目指す先には、スペインの国旗が。ボートの上で亡くなり、海に沈められる人たちの姿も描かれています。ボートに乗る難民たちの頭上には、『バルザフ』の文字。イスラム教の言葉で、死の後最後の審判を待つ間の中間段階を指すそうです。ボートには今回の作品とは異なり”TEKK? “という言葉が書かれています。「成功するか?」という意味だそうです。スペインに渡ったところで、成功するかどうか、それは分からない、という意味だと芸術家は言います。その言葉の通り、何とか海を渡ったところで、あっさり強制送還される恐れもあります。それを何とか免れても、ヨーロッパの社会に適応し、すぐに仕事を得られるとも限りません。貧しい家族にお金を送りたいという願いは必ずしもかなわないという現実があるのです。この本は単独でも楽しめますが、もしたどり着いた先の生活について詳しく知りたい人がいれば、同じシリーズの『地球から子どもたちが消える。』に詳しく描かれていますので、そちらもぜひ読んでみてください。
シモンさんは原書の最後に、さらにもう一作、ドキュメンタリを紹介しています。
(Travelling with Immigrants – Mali、二〇〇七年、イギリスJourneyman Pictures)
こちらのドキュメンタリではボートで海を渡る前、アフリカ諸国からサハラ砂漠の玄関口、マリのガオへ移動。そこからまたトラックで二週間近くかけ、サハラ砂漠を渡り、海沿いの町を目指す様子にスポットが当てられています。ボートが出る出発地は取り締まりが強化されると、リビア、モロッコ、セネガルなど次々場所が移されるそうです。海を渡る距離が長くなればなるほど、命を落とすリスクは高まります。ボートで海を渡るのはもちろん困難に思えます。ただ映像を観ると、その前の段階、サハラ砂漠を渡るのも非常に困難であることが分かります。体力も消費することでしょう。その状態でボートに乗るなんて――想像するだけで気の遠くなる思いがします。
さらに知りたい人は難民支援協会のサイトがとても参考になります。https://www.refugee.or.jp/event/ さまざまな講座やイベントを行っているようです。
特に次のページは日本にいる難民の状況を知るのに役立つはずです。https://www.refugee.or.jp/story/main.shtml
AAR Japan[難民を助ける会]http://www.aarjapan.gr.jp/about/のサイトもまた参考になります。
これらの協会が薦めている書籍を中心に、さらに知りたい人たちの助けになりそうな書籍をここに挙げておきたいと思います。
『日本と出会った難民たち 生き抜くチカラ、支えるチカラ』(根本かおる、英治出版)
『海を渡った故郷の味』(難民主演協会)
『「未来」をください―世界の難民の子らに、希望の光を』(本間 浩監修、小学館)
『日本の難民認定手続き − 改善への提言』(難民問題研究フォーラム編、現代人文社)
『ママ・カクマ 自由へのはるかなる旅』(石谷敬太編、石谷尚子訳、評論社)
『イヤー・オブ・ノー・レイン―内戦のスーダンを生きのびて』(アリス・ミード作、横手美紀訳、鈴木出版)
『はばたけ!ザーラ―難民キャンプに生きて』(コリーネ・ナラニィ作、野坂悦子訳、鈴木出版)
この本が世界の貧困や難民の人たちについて、皆さんが興味を持つきっかけとなればとても嬉しいです。
私がこの本をぜひ日本に紹介しようと決めたきっかけとなったのは、昨年NORLA(ノルウェー文学海外普及財団)というノルウェーの文学団体主催の翻訳者セミナーに参加し、夕食の席で本作をアラビア語に訳し、アラビア語の翻訳賞を受賞された翻訳者さんとお話したことがきっかけです。その本はパレスチナで出版され、大きな話題になったそうです。シモンさんは実際パレスチナの学校を訪れ、作品について生徒たちと意見を交わしました。翻訳者の方はモロッコ出身で、アラビア語が母語。ノルウェーに難民としてやって来ましたが、現在はノルウェー語を自在に操り、翻訳者、ジャーナリストとして活躍されています。実際の難民としてヨーロッパを渡った方が、素晴らしいと太鼓判を押した作品なら、きっと内容的に信頼がおけると思ったのです。 作者のシモン・ストランゲルさんはもちろん、シモンさんの作品を高く評価し、出版までご支援くださった編集の仙波敦子様、翻訳協力をしてくだった三瓶恵子様、この本に出会うきっかけを与えてくださったNORLAの皆さんや、同じくNorlaのメンター・プログラムを通じて訳文についてご助言をくださったノルウェー夢ネットの青木順子さんにこの場を借りてお礼申し上げます。
枇谷 玲子
(作者より)
日本の読者のみなさんへ
今から二十年近く前、ぼくは友人とその父親と、三十二フィート(およそ九メートル七十五センチ)のヨットで、フランスからカリブ海のカナリア諸島を目指していました。
その時、ぼくは十九才。高校を卒業したばかりで、世界へ飛び出そうとしていました。
ところが途中(とちゅう)で、ヨットの変速装置がきかなくなってしまいました。風が止み、潮に流されるまま、果てしない海の真ん中をただようヨットの上で、ぼくらはただ仰向けになっていました。
その十年後、ぼくはカナリア諸島の島のひとつ、グラン・カナリア島を一家の父として、再び訪れました。
その時ぼくは、『記憶』(原題“Mnem”、二〇〇八年ノルウェーで発表)という大人向けの小説に収録する四ページの短いマンガの物語を考えていたところでした。
本の完成を間近に、ぼくは探求しきれていないもの、描ききれなかったものが、たくさんあるように感じていました。
そんなぼくにとって、カナリア諸島は完ぺきな場所でした。
その島ではヨーロッパからの家族連れが、海岸で日光浴をしたり、海で泳いだり、砂のお城をつくったり、おいしいご飯を食べたりして、夏休みをすごしていました。
でもそのすぐそばでは、夢を求め、ヨーロッパを目指していたアフリカ人の子どもや若者が、息絶えている。
正反対の光景です。
世界の縮図みたいな。
いつだか、はっきり思い出せないのですが、後のある日、ぼくの目の前にひとりの女の子の姿がぱっと浮かびました。観光客が集う場所をはなれ、ジョギングをしていたその女の子の前にふと、難民ボートが現れました。
ぼくは考えました。
「この子は誰なんだろう? ボートの中の難民たちに、それぞれ物語はないのかな?」
そうしてこの『ドコカ行き難民ボート。』を書きはじめたのです。
これは様々な意味で、ぼくの転機となった作品です。この本はたくさんの言葉に訳され、ぼくを新たな地へ、新たな読者の下へと導いてくれました。
そして今度は日本語に訳されると聞き、ぼくは信じられないぐらい、ほこらしい気持ちでいます。
ぼくがこのお話を書くことで、覚醒されたように、このお話を読んだみなさんの心に、何かが芽生えますように。
ぼくらは皆、同じボートに乗っています。
ぼくらは誰しも、未来や人と人のつながり、意義を求めています。
文学は言葉や国境をこえ、ぼくらをつないでくれるのですね。
この本を読んでくれて、ありがとう。
シモン・ストランゲル
参考:
参考:TED 難民になるってどんなこと?
参考:TED 崩壊しゆく難民制度を建て直そう