『キュッパのおんがくかい』読み聞かせ

『キュッパのおんがくかい』読み聞かせ

1場面目 「キュッパは まるたの おとこのこです。なかよしの もみのきの ググランと おばあちゃんの いえに あそびにきました。」というところは、少し絵が小さいのでどの子がキュッパで、どの子がググランかわかりにくいかもしれません。指差しながら読むか、導入で少し登場人物の説明をしてもよいかもしれません。

3場面目 指揮者が登場する場面は、指揮者の体が大きく描かれているせいか、子どもたちに強いインパクトを与えたようです。私は自分の中で指揮者のキャラクターをつくってちょっとこわい感じでセリフを読み上げました。
よこから ググランが 「ぼくは ググランだよ」と いっても しきしゃは 「ああ そうかい」と こたえるだけで どうでも よさそうです、というところでは、「かわいそう」と声を漏らす子や、笑う子もいました。

4場面目  キュッパのおばあちゃんが木琴を叩く姿がふきだしの中に描かれているのですが、この場面は子どもたちの注意をかなり惹きつけることができました。漫画っぽいふきだしが絵本に出てくるのが面白かったのでしょか。おばあちゃんのバチさばきが格好良かったから?

5場面目 1年生のクラスではトランペット、サクソフォンという言葉が分からなかったようです。あまり何度も指差しをするのはよくないようですが、低学年のクラスでは理解を助けるためにやってもよいかもしれません。

7場面目 エルセがキュッパにトランペットの吹き方を教える場面。これはかなり面白かったみたいです。漫画のようにコマに分かれていると、読み聞かせでは使いにくい部分もあるのですが、実際子ども達は関心を持ってくれたように思えます。

8場面目 「キュッパは れんしゅう するうちに……どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん…… ……うまく なりました」というところは、リズムよく抑揚をつけて読めて、子ども達が面白いと思ってくれたのが伝わってきました。
「でんせんに とりが とまっているみたいだ!」というところは1年生のクラスではちょっと反応が薄く、4年生のクラスでは関心を持ってもらえました。1年生にはまだちょっと難しかったのかもしれません。

9場面目は黒いページでキュッパの動きが描かれていないので、子ども達に理解してもらえるかちょっと心配でした。でも実際は、突然黒いページが出てきたのがインパクト大だったようで、子ども達が集中して話に耳を傾けてくれているのが分かりました。「はやく でていけ!」というところ、怖い感じで、どすをきかせて読んだのですが、びくっとしている子もいました。

11、12場面目 キュッパのお皿洗いの場面です。この絵本の場合、ここから特に面白さが爆発して、何人かだれてきていた子ども達の目も再び輝くのが分かりました。子どもってやっぱり音に興味があるのですね。

13、14場面目 キュッパが楽器をつくる場面。子ども達はキュッパに釘付けです。

15場面目 「キュッパの おんがくかいの はじまりです!」この場面は最高だと思いました。こんなに愉快で楽しい場面、なかなかないですね。子ども達はすっかりキュッパの世界に入り込んでいました。
私はPCを持って行って、キュッパのおんがくかいのプロモーション映像を流したのですが、それも評判がよかったです。先生も終わった後、興味津々で、どうして絵本と連動したビデオがあるのか、と質問してくださいました。

16場面目 おばあちゃんがトロフィーを持ってくる場面。やっぱり子どもって、トロフィーや表彰状が好きなんですね。キュッパの喜びやわくわくが子ども達に見事に伝わったようです。オーシルさんの才能に脱帽です。

http://reikohidani.net/794/

26. ドコカ行き難民ボート

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ドコカ行き難民ボート。 (汐文社) – 2015/4
シモン ストランゲル (著), Simon Stranger (原著), 枇谷 玲子 (翻訳)


(あとがき)

このお話はフィクションですが、サミュエルたちのように海をボートで渡ってヨーロッパを目指す難民は実際にいるようです。
作者のシモン・ストランゲルさんが、原書の最後に挙げている以下のサイトからも、そのことがよく分かります。英語のサイトですが、ぜひインターネットで観てみてください。映像を観るだけでも緊迫感が伝わってきます。簡単に内容をご紹介させてください。


(二〇〇七年、イギリスJourneyman Pictures)
このドキュメンタリ映像の出だしでは、カナリア諸島はヨーロッパの旅行者が多く訪れるリゾート地として紹介されています。観光客が海岸で日光浴をしたり、海で泳いだりと楽しいバカンスを過ごす中、海の向こうからたくさんのアフリカ系難民がひしめき合う粗末なボートがあらわれました。その様子を、目を丸くしてながめる人たち。ボートに乗っていたのはアフリカ、中でもとりわけ多いのは、西アフリカからの難民です。彼らはアフリカからヨーロッパの最も西にある領土であるこのスペイン領、カナリア諸島に、十一日前後の長い日数をかけ、命がけでやって来たのです。ボートは難民らがカナリア諸島に着いて間もなく浸水し、沈んでしまうこともあるほど、粗末で、状態が悪い場合が多いそうです。
かつてはモロッコからスペイン本土に渡る難民が多かったそうですが 、スペイン本土での取り締まりが厳しくなったことから、セネガルなどの南アフリカ沿岸の国からカナリア諸島 という新たな密航ルートがとられるようになったと紹介されています。
港で彼らの救護にあたる、赤十字の職員たち。職員は難民をテントに移動させ、食事を配ります。それほど広くなく、数も少ないテントの中で、映像が撮られた日は、五百人近い難民がひしめき合っていたようです。これだけ人が密集していると、一人が病気になれば、種類によっては、たちまち広まるリスクもあります。難民の人たちは、無事たどり着けた喜びからか、難民同士、また職員とも冗談を言い合い、笑い合う場面も。その中で脱水症状や体温低下、過度の日焼けなどから、手当や治療が必要な難民を職員が見抜き、医療車へと移動させます。その映像ではそれから三日後に、難民たちが一時受け入れ施設に移動させられると報じられていました。
映像には、セネガルに暮らす少年へのインタビューも収録されています。その少年はかつてセネガルから海を渡ったものの、強制送還されてしまったそうです。少年は言います。
「両親は自分のために全財産を投げ打って、密航料を支払ってくれた。なのにそれを無駄にしてしまった。悔しいし、恥ずかしい。セネガルにいても仕事がなくて、家計を助けることができないんだ」
さらにそのドキュメンタリには、首都郊外の大学近くのコンクリートの壁に描かれた、ある絵が紹介されています。それを描いた芸術家がカメラの前で説明します。ボートにたくさんの難民が乗っている絵です。ボートが目指す先には、スペインの国旗が。ボートの上で亡くなり、海に沈められる人たちの姿も描かれています。ボートに乗る難民たちの頭上には、『バルザフ』の文字。イスラム教の言葉で、死の後最後の審判を待つ間の中間段階を指すそうです。ボートには今回の作品とは異なり”TEKK? “という言葉が書かれています。「成功するか?」という意味だそうです。スペインに渡ったところで、成功するかどうか、それは分からない、という意味だと芸術家は言います。その言葉の通り、何とか海を渡ったところで、あっさり強制送還される恐れもあります。それを何とか免れても、ヨーロッパの社会に適応し、すぐに仕事を得られるとも限りません。貧しい家族にお金を送りたいという願いは必ずしもかなわないという現実があるのです。この本は単独でも楽しめますが、もしたどり着いた先の生活について詳しく知りたい人がいれば、同じシリーズの『地球から子どもたちが消える。』に詳しく描かれていますので、そちらもぜひ読んでみてください。
シモンさんは原書の最後に、さらにもう一作、ドキュメンタリを紹介しています。

(Travelling with Immigrants – Mali、二〇〇七年、イギリスJourneyman Pictures)
こちらのドキュメンタリではボートで海を渡る前、アフリカ諸国からサハラ砂漠の玄関口、マリのガオへ移動。そこからまたトラックで二週間近くかけ、サハラ砂漠を渡り、海沿いの町を目指す様子にスポットが当てられています。ボートが出る出発地は取り締まりが強化されると、リビア、モロッコ、セネガルなど次々場所が移されるそうです。海を渡る距離が長くなればなるほど、命を落とすリスクは高まります。ボートで海を渡るのはもちろん困難に思えます。ただ映像を観ると、その前の段階、サハラ砂漠を渡るのも非常に困難であることが分かります。体力も消費することでしょう。その状態でボートに乗るなんて――想像するだけで気の遠くなる思いがします。
さらに知りたい人は難民支援協会のサイトがとても参考になります。https://www.refugee.or.jp/event/ さまざまな講座やイベントを行っているようです。
特に次のページは日本にいる難民の状況を知るのに役立つはずです。https://www.refugee.or.jp/story/main.shtml
AAR Japan[難民を助ける会]http://www.aarjapan.gr.jp/about/のサイトもまた参考になります。
これらの協会が薦めている書籍を中心に、さらに知りたい人たちの助けになりそうな書籍をここに挙げておきたいと思います。
『日本と出会った難民たち 生き抜くチカラ、支えるチカラ』(根本かおる、英治出版)

『海を渡った故郷の味』(難民主演協会)

『「未来」をください―世界の難民の子らに、希望の光を』(本間 浩監修、小学館)

『日本の難民認定手続き − 改善への提言』(難民問題研究フォーラム編、現代人文社)

『ママ・カクマ 自由へのはるかなる旅』(石谷敬太編、石谷尚子訳、評論社)

『イヤー・オブ・ノー・レイン―内戦のスーダンを生きのびて』(アリス・ミード作、横手美紀訳、鈴木出版)

『はばたけ!ザーラ―難民キャンプに生きて』(コリーネ・ナラニィ作、野坂悦子訳、鈴木出版)

この本が世界の貧困や難民の人たちについて、皆さんが興味を持つきっかけとなればとても嬉しいです。
私がこの本をぜひ日本に紹介しようと決めたきっかけとなったのは、昨年NORLA(ノルウェー文学海外普及財団)というノルウェーの文学団体主催の翻訳者セミナーに参加し、夕食の席で本作をアラビア語に訳し、アラビア語の翻訳賞を受賞された翻訳者さんとお話したことがきっかけです。その本はパレスチナで出版され、大きな話題になったそうです。シモンさんは実際パレスチナの学校を訪れ、作品について生徒たちと意見を交わしました。翻訳者の方はモロッコ出身で、アラビア語が母語。ノルウェーに難民としてやって来ましたが、現在はノルウェー語を自在に操り、翻訳者、ジャーナリストとして活躍されています。実際の難民としてヨーロッパを渡った方が、素晴らしいと太鼓判を押した作品なら、きっと内容的に信頼がおけると思ったのです。 作者のシモン・ストランゲルさんはもちろん、シモンさんの作品を高く評価し、出版までご支援くださった編集の仙波敦子様、翻訳協力をしてくだった三瓶恵子様、この本に出会うきっかけを与えてくださったNORLAの皆さんや、同じくNorlaのメンター・プログラムを通じて訳文についてご助言をくださったノルウェー夢ネットの青木順子さんにこの場を借りてお礼申し上げます。

枇谷 玲子

 

 

(作者より)

日本の読者のみなさんへ

今から二十年近く前、ぼくは友人とその父親と、三十二フィート(およそ九メートル七十五センチ)のヨットで、フランスからカリブ海のカナリア諸島を目指していました。
その時、ぼくは十九才。高校を卒業したばかりで、世界へ飛び出そうとしていました。
ところが途中(とちゅう)で、ヨットの変速装置がきかなくなってしまいました。風が止み、潮に流されるまま、果てしない海の真ん中をただようヨットの上で、ぼくらはただ仰向けになっていました。
その十年後、ぼくはカナリア諸島の島のひとつ、グラン・カナリア島を一家の父として、再び訪れました。
その時ぼくは、『記憶』(原題“Mnem”、二〇〇八年ノルウェーで発表)という大人向けの小説に収録する四ページの短いマンガの物語を考えていたところでした。
本の完成を間近に、ぼくは探求しきれていないもの、描ききれなかったものが、たくさんあるように感じていました。
そんなぼくにとって、カナリア諸島は完ぺきな場所でした。
その島ではヨーロッパからの家族連れが、海岸で日光浴をしたり、海で泳いだり、砂のお城をつくったり、おいしいご飯を食べたりして、夏休みをすごしていました。
でもそのすぐそばでは、夢を求め、ヨーロッパを目指していたアフリカ人の子どもや若者が、息絶えている。
正反対の光景です。
世界の縮図みたいな。
いつだか、はっきり思い出せないのですが、後のある日、ぼくの目の前にひとりの女の子の姿がぱっと浮かびました。観光客が集う場所をはなれ、ジョギングをしていたその女の子の前にふと、難民ボートが現れました。
ぼくは考えました。
「この子は誰なんだろう? ボートの中の難民たちに、それぞれ物語はないのかな?」
そうしてこの『ドコカ行き難民ボート。』を書きはじめたのです。
これは様々な意味で、ぼくの転機となった作品です。この本はたくさんの言葉に訳され、ぼくを新たな地へ、新たな読者の下へと導いてくれました。
そして今度は日本語に訳されると聞き、ぼくは信じられないぐらい、ほこらしい気持ちでいます。
ぼくがこのお話を書くことで、覚醒されたように、このお話を読んだみなさんの心に、何かが芽生えますように。
ぼくらは皆、同じボートに乗っています。
ぼくらは誰しも、未来や人と人のつながり、意義を求めています。
文学は言葉や国境をこえ、ぼくらをつないでくれるのですね。
この本を読んでくれて、ありがとう。

シモン・ストランゲル

参考:

TEDより https://www.ted.com/talks/anders_fjellberg_two_nameless_bodies_washed_up_on_the_beach_here_are_their_stories

参考:TED 難民になるってどんなこと?

参考:TED 崩壊しゆく難民制度を建て直そう

25. 地球から子どもたちが消える。

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地球から子どもたちが消える。 (汐文社) – 2015/4
シモン ストランゲル (著), Simon Stranger (原著), 枇谷 玲子 (翻訳), 朝田 千惠 (翻訳)

 

(あとがき)

二〇一四年八月にノルウェーで発表された本作は、すでにノルウェーの新聞などで取り上げられ、「世の中を動かす作品」、「近年で一番大切なヤングアダルト作品」などと評価されています。またノルウェーのヤングアダルト賞、『UPRISEN』や、『本のブロガー賞』にもノミネートされています。
このお話は楽しい話ではないかもしれません。特にラストはショッキングです。ノルウェーでも例えばあるブロガーが、「中学生の息子が横でこの本を読んでいるのを見て、一瞬止めようかと思いました」と書いているように、ノルウェー人にとっても刺激が強いもののようです。
ただそのブロガーはこう続けています。「でも夢中で読んでいる姿を見て、声をかけるのは止めました。この本には目をそむけたくなるようなつらい現実が描かれているけれど、その現実をそろそろ見せてもよいのではないかと思ったのです。その後社会問題について考えるようになった息子を見て、選択は正しかったんだと思いました」
私も初めこそ戸惑いましたが、難民認定の実態を書籍で調べるうちに、残念なことではありますが、この作品の内容は現実に即していることに気がつきました。
このシリーズはたくさんの国に翻訳紹介されています。そのうちのひとつである東アジアの国の翻訳者と、この作品についてメールのやりとりをした時、これは東アジアの子どもたちに伝えるべき作品だね、いうことで意見が一致しました。東アジアの子どもたちは大人から守られすぎていて、世界で実際に起こっている宗教的対立や戦争についてほとんど知らない。子どもは私たち大人が思っている以上に賢く、深く考えることができるのではないか、と。この本の価値を決めるのは私たち大人ではなく、子どもの読者なのでは、と。
私たち大人は、子どもの本のよい悪いを、一面的に判断してはいないでしょうか。子どもは夢中になれる物語を求めています。私は子どもが真に求めているのがどんな物語なのか、これからも考え続けたい。この作品を訳してそんな思いを一層強くしました。
『UPRISEN』のサイトでは、ノルウェーの読者の感想を読むことができます。ふたつほど紹介しましょう。「ハッピーエンドはただすかっとして終わりだけど、この本を読んで、世の中にはたくさんの人がいて、誰しもが必ずしも幸せな人生を送れるとは限らないってことを知れたのは、よかったと思う」、「僕はこういう悲しい本を好きだと思ったことは今まではなかった。この本を読んで初め、僕はすごくびっくりした。そして恐ろしいのに、ページをめくる手が止まらなかった。こういう読書体験は初めてだった。僕の中で、新しい本への価値観が目覚めた気がした」
作者はさまざまな資料を読みこんだり、アムステルダムに取材旅行などした上でこの作品を書きました。伝えたいという強い思いを持った作家さんです。また温かで人間味に溢れ、人道的な目線や語り、子どもたちの心にまっすぐに届く簡潔で、それでいて美しい文章が、この本をただの「おりこうさん」のための本ではない、文学作品にまで引き上げています。
日本の難民認定の実態を知りたい人は、ぜひ『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』(「壁の涙」製作実行委員会編集、現代企画室)

『母さん、ぼくは生きてます』(アリー・ジャン作、池田香代子訳、マガジンハウス)を読んでみてください。

また文學界新人賞を受賞し、高校の英語の教科書にも収録された、『白い紙/サラム』(シリン・ネザマフィ作、文藝春秋)もお薦めです。

枇谷 玲子

 

(作者の言葉)

日本の読者のみなさんへ

 

「サミュエルはどうなったの?」

「『ドコカ行き難民ボート。』の後、サミュエルは無事なの?」

これはシリーズ一作目にあたる『ドコカ行き難民ボート。』がノルウェーで二〇〇九年に出版された後、僕が何度もされた質問です。その質問に僕は全くもって答えることができませんでしたし、その答えとなる続編を書こうとは思っていませんでした。

ところがある日、エミーリエが出てくる物語がぱっと僕の頭に浮かびました。それが『このTシャツは児童労働で作られました。』(ノルウェーでの出版二〇一二年、日本での出版二〇一三年)です。そのころも、例の二つの質問は、僕の頭の中で響いていました。解決されぬまま。

そして『このTシャツは児童労働で作られました。』がノルウェーで出版されて少しして、また僕の前にある場面がぱっと浮かびました。サミュエルが窓をたたく音で、エミーリエが目を覚ます場面が。今度の舞台はエミーリエの暮らすノルウェーでした。そこから物語がどう展開していくのか、考えるのが僕の役目です。サミュエルがどうやって、何のためにノルウェーにやって来たのかを。

さまざまな点から、この本は希望を失った人を描いたドキュメンタリーであると言うことができます。人は希望を失うと、どうなるのでしょう? 人は今よりよい生活が送れるようになることや、明るい未来が待っていることを信じられなくなったら、一体どうなるのでしょう? 全ての光が消え、生きることに伴う闇は次第に膨らみ、その人は飲みこまれてしまうのです。

これはシリーズ最終巻です。このシリーズは作家である僕を、世界に連れて行ってくれました。物語の中でも、現実にも。こんな風に物語を終えざるをえなかったことについては、作者として胸を引き裂かんばかりの思いでいます。でもこれは事実なのです。この物語の着地点は実際、ひとつしかありえませんでした。

僕と一緒に旅をしてくれてありがとう。どうか自分のことを大事にしてください。日々を楽しむことも忘れないで。君が望む人生を、君が送ることのできる人生を、精いっぱい生きてください。ここにあるもの全てに感謝しましょう。

そうすることで、さらなる本との出会いが訪れるのです。新しい日々が。新しい物語が。

シモン・ストランゲル

参考:TED 絶望してばかりもいられない。平和な世界をつくるため、動き出す人達。そしてそれはきれい事なんかじゃない。

参考:TED 格差を減らすために私達ができること。飢饉、 病気、 紛争、 腐敗――そんなアフリカのイメージが変わりつつある。経済成長とビジネス・チャンスというアフリカの新たな一面に、なぜか人々は目を向けようとしない。アフリカの経済学者の話。

参考:伊勢丹バイヤーを動かした一人の主婦の熱意 アフリカ布バッグの奇跡
http://withnews.jp/article/f0170130001qq000000000000000W05u10301qq000014572A

参考:

22. キュッパの音楽会

キュッパのおんがくかい (福音館の単行本)  オーシル・カンスタ・ヨンセン (著), ひだに れいこ (翻訳)

読み聞かせレポート

1場面目 「キュッパは まるたの おとこのこです。なかよしの もみのきの ググランと おばあちゃんの いえに あそびにきました。」というところは、少し絵が小さいので、どの子がキュッパで、どの子がググランかわかりにくいかもしれません。指差しながら読むか、導入で少し登場人物の説明をしてもよいかもしれません。
3場面目 指揮者が登場する場面は、指揮者の体が大きく描かれているせいか、子どもたちに強いインパクトを与えたようです。私は自分の中で指揮者のキャラクターをつくってちょっとこわい感じでセリフを読み上げました。
よこから ググランが 「ぼくは ググランだよ」と いっても しきしゃは 「ああ そうかい」と こたえるだけで どうでも よさそうです、というところでは、「かわいそう」と声を漏らす子や、笑う子もいました。

4場面目  キュッパのおばあちゃんが木琴を叩く姿がふきだしの中に描かれているのですが、この場面は子どもたちの注意をかなり惹きつけることができました。漫画っぽいふきだしが絵本に出てくるのが面白かったのでしょか。おばあちゃんのバチさばきが格好良かったから?

5場面目 1年生のクラスではトランペット、サクソフォンという言葉が分からなかったようです。あまり何度も指差しをするのはよくないようですが、低学年のクラスでは理解を助けるためにやってもよいかもしれません。

7場面目 エルセがキュッパにトランペットの吹き方を教える場面。これはかなり面白かったみたいです。漫画のようにコマに分かれていると、読み聞かせでは使いにくい部分もあるのですが、実際子ども達は関心を持ってくれたように思えます。

8場面目 「キュッパは れんしゅう するうちに……どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん どんどん…… ……うまく なりました」というところは、リズムよく抑揚をつけて読めて、子ども達が面白いと思ってくれたのが伝わってきました。
「でんせんに とりが とまっているみたいだ!」というところは1年生のクラスではちょっと反応が薄く、4年生のクラスでは関心を持ってもらえました。1年生にはまだちょっと難しかったのかもしれません。

9場面目は黒いページでキュッパの動きが描かれていないので、子ども達に理解してもらえるかちょっと心配でした。でも実際は、突然黒いページが出てきたのがインパクト大だったようで、子ども達が集中して話に耳を傾けてくれているのが分かりました。「はやく でていけ!」というところ、怖い感じで、どすをきかせて読んだのですが、びくっとしている子もいました。

11、12場面目 キュッパのお皿洗いの場面です。この絵本の場合、ここから特に面白さが爆発して、何人かだれてきていた子ども達の目も再び輝くのが分かりました。子どもってやっぱり音に興味があるのですね。

13、14場面目 キュッパが楽器をつくる場面。子ども達はキュッパに釘付けです。

15場面目 「キュッパの おんがくかいの はじまりです!」この場面は最高だと思いました。こんなに愉快で楽しい場面、なかなかないですね。子ども達はすっかりキュッパの世界に入り込んでいました。
私はPCを持って行って、キュッパのおんがくかいのプロモーション映像を流したのですが、それも評判がよかったです。先生も終わった後、興味津々で、どうして絵本と連動したビデオがあるのか、と質問してくださいました。

16場面目 おばあちゃんがトロフィーを持ってくる場面。やっぱり子どもって、トロフィーや表彰状が好きなんですね。キュッパの喜びやわくわくが子ども達に見事に伝わったようです。オーシルさんの才能に脱帽です。

(関連グッズ)

  

 

  

 
   

21. カンヴァスの向こう側

書影

 

『カンヴァスの向こう側』フィン・セッテホルム作、評論社、2013年

”Lydias Hemlighet”, Finn Zetterholm

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あらすじ

リディアは、絵を描くのが大好きな十二歳の女の子。公園で不思議な少年に出会ってから、まわりでは変なことばかり。おじいさんと出かけた美術館で、絵画にふれてしまったリディアは、絵画の世界に迷いこみ…待ち受けるのは、どんな冒険でしょう?気難しかったり、冗談好きだったり、気のいい飲んべえだったりと、素顔の巨匠に出会えます。名画をめぐる時空を超えたファンタジー。

作家紹介

フィン・セッテホルム(Finn Zetterholm)

1945年、スウェーデンの古都シグトゥーナで作家の両親の間に生まれる。両親の影響からか自然に児童書の著作活動に入る。スウェーデンでは知らない子どもはいないというほど人気の、テレビアニメ番組の主題歌を手がけた作詞・作曲家、歌手。現在はコンサート活動を行うかたわら、児童書作家としても活躍している。本書はイタリアの「チェント賞」、オランダのセレクシス青少年文学賞」を受賞している。

あとがき

 この本の主人公リディアは絵を描くのが大好きな十二歳の女の子です。子ども部屋の壁いっぱいに絵を描いてしまいお父さんとお母さんをかんかんにさせてしまうなど、ちょっと変わったところはあるものの、毎日学校に通う平穏な日々を送っていました。
 ところが学校の帰り道に公園のベンチで絵を描いている時に鳥に鉛筆をかすめとられてから、奇妙な出来事が起こり始めます。医者であるおじいちゃんの営む病院の絵から女の子が消えてしまったり、鳥に顔がそっくりな少年から渡された薬を飲んだとたん、スペイン語が分かるようになったり……。
 さらにリディアはおじいさんと行った国立美術館でレンブラントの絵に触れ、一六五八年のオランダ、アムステルダムにタイムスリップしてしまいます。リディアはレンブラントのメイドのヘンドリッキェと仲良くなったり、レンブラントに才能を見出され絵の描き方を教えてもらったりと、アムステルダムでの生活に段々と慣れていきます。ところがある日大雨が降り、土手に流れ込んだ海水にリディアは飲みこまれてしまいます。流れてきた絵に必死でつかまると、今度はベラスケスの時代のスペインにやって来てしまいました。
 このように様々なピンチに見舞われながら、レオナルド・ダ・ヴィンチ、エドガー・ドガ、ウィリアム・ターナー、ダリといった有名画家の時代へ次々タイムスリップしていくリディア。そこで画家たちの素顔に触れ、絵の描き方を観察したり習ったりすることで成長していきます。でもいつまでも過去の世界にいるわけにはいきません。一体どうしたら大好きなおじいちゃんやお父さん、お母さん、友だちのリンが待つ二十一世紀のスウェーデン、ストックホルムに戻れるのでしょうか。
 この作品は美術史に基づいたファンタジーです。例えば第二章で王女と隠れんぼすることになったリディアが、ヴェラスケスの工房に迷む場面で、『侍女たち(ルビ:ラス・メニーナス)』の絵の中に、カンヴァスと向き合うヴェラスケスの姿が描かれ、そのカンヴァスの中にもカンヴァスと向かい合うヴェラスケスの姿が描かれ、さらにそのカンヴァスの中にも……と、永遠に続いていったら面白いのではないかと作者のフィン・セッテホルムさんは考えました。実際の絵の中ではカンヴァスの向こう側は見えませんが、このような想像が加わることで、物語が一層幻想的で神秘的なものに思えるのではないでしょうか。読んでいる私たちの想像力も無限に膨らんでいくようでわくわくさせられます。
 第三章『ラ・ジョコンダ--モナ・リザ』では、お腹が痛くなったジョコンダがトイレからなかなか戻ってこなかったので、レオナルド・ダ・ヴィンチがリディアに代わりにモデルをするよう頼む場面が出てきます。ここは原書の表紙にもなるほど印象的な場面ですが、世界的名画のモデルに一瞬でもリディアがなったという想像はかなり大胆に思えるかもしれません。でも実は専門家の間ではダ・ヴィンチは一五一九年にこの世を去るまで、この絵に手を加え続け、完成させることはなかったという説があるそうです。ジョコンダが物語の中で、いつまで経っても絵が出来上がらないと怒っていたように、これだけ長い期間かけて描かれたのであれば、ダ・ヴィンチがジョコンダだけでなく、途中で違う女性をモデルにしたことも十二分にありえるそうです。またモナ・リザのモデルはジョコンダではなく全く別の人物なのではないかという説もあり、モデルについての真相はなぞのベールに包まれたままなのです。
 作者のフィンさんによる、リディアが迷い込む名画の世界の描写は実に見事で、読んでいる私たちまで画家たちの時代にタイムスリップしたような気分になれます。この作品はフィンさんの母国、スウェーデンだけでなく、ヨーロッパの様々な国が舞台となっています。そんな本作がイタリア語、オランダ語、フィンランド語、ポルトガル語などたくさんの言葉に翻訳され、中でもレンブラントの母国オランダで「セレクシス青少年文学賞」を、ダ・ヴィンチの母国イタリアで「チェント章」を受賞したことからも、本国の人たちが読んでも違和感を感じないほど、緻密に風景や風俗などが再現されていることがよく分かります。
 作者は美術の専門家ではありませんが、美術館で絵を見たり、美術書を読んだり、画家の伝記を読んだりするのが長年の趣味で、その知識をもとにこの作品を描いたそうです。私も作品名、画家名、地名などを日本語に正確に訳すため、リディアではありませんが、美術書を幾度となくむさぼり読みました。そしてその度フィンさんの知識の豊富さに驚かされるのです。
 例えば第四章の『バレエの教室』で、バレリーナを夢見る少女イヴェットのファンを名乗る中年男性アンリが彼女に付きまといますが、当時若いバレリーナの取り巻きをする中年の男性が多数いたそうです。ドガはそんな彼らの姿を批判的な視点からとらえた作品を残しているようです。
 こんな風に言うと、難しいお話に思えてしまうかもしれませんが、そんなことは全くありません。リディアやおじいちゃんだけでなく、出てくる画家も個性派ぞろいで、きっと楽しんで読めることでしょう。
 第三章のダ・ヴィンチは登場場面からして強烈です。森に大きな鳥のようなものが落ちてきたと思ったら、それは実は鳥ではなく、翼を真似て作った羽根で飛ぶ実験をしていたダ・ヴィンチだったのです。さらにダ・ヴィンチは道で鳥かごに閉じこめられ売られていたツグミをかわいそうに思い、全て買ってかごから放ちリディアを驚かせます。
 一番の奇人は何といっても第六章のダリでしょう。自分の乳歯を家の装飾代わりに天井に飾ったり、面白いからという理由で8歳までベッドでおしっこをしたりするのですから。
 また他の画家ほど有名ではありませんが、ドガの弟子として登場するこの作品唯一の女性画家、メアリー・カサットにも注目していただけたらうれしいです。彼女は女性画家が出始めたばかりの時代に、画家として大成したいという野心と信念を持っていました。物怖じしない性格で、師匠であるドガにも真っ向から意見をぶつけます。それでいて愛くるしくて茶目っ気のある彼女のことを、奥手で気難しいドガも大事に思わずにはいられない様子です。そんなカサットの姿は画家という夢を求めてひた走るリディアと重なるところがあるように思えるのは私だけでしょうか。ひょっとしたらいつかリディアが二十一世紀のメアリー・カサットと呼ばれる日がやって来るのかもしれません。
 おじちゃんや世界の有名画家たちがリディアの才能を引き出したように、この本が皆さんを美術の世界へと誘う案内役となれば訳者としてこんなに光栄なことはありません。

書評など

20. このTシャツは児童労働で作られました。

書影
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『このTシャツは児童労働で作られました。』シモン・ストランゲル著、汐文社、2013年
“Verdensredderne”, Simon Stranger

あらすじ

本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、インターネットでおしゃれな服をチェックしたりするのが好きな平凡な高校一年生の少女、エミーリエは、ある日H&Mで男の子が値札にシールを貼っていることに気が付いた。シールには、「このTシャツは児童労働でつくられました。」という文と、『世界を救おう』というグループのブログのアドレスがプリントされていた。

家に帰り、『世界を救おう』のブログをチェックしたエミーリエは、H&Mの服が安いのは、バングラデシュなど途上国の人達が最低限の生活を送るのもままならないほほど安い賃金で奴隷のように長時間こき使われているからだと知り、ショックを受ける。しかもその中には子どももいるらしい。

アントニオというその男の子とブログで連絡をとったエミーリエは入団試験を受け、無事グループの仲間入りを果たす。

しかしメンバーの一人であるアウロラという女の子が、アントニオとやけに仲が良く、エミーリエに何かとつっかかってくる。カカオのプランテーションで行われている人身売買や児童労働へ抗議運動の時など、スーパーのチョコレートにこっそりシールをはろうとしているのを店員に見つかりそうになったエミーリエが、誤魔化すために仕方なくチョコレートを買って戻ってくると、皆の前で激しく文句を言いだした。ひょっとしてアウロラもアントニオのことを好きなんじゃ? アントニオに好意を抱き始めていたエミーリエは、次第に不安をつのらせていく。

工場で長時間労働が行われているアップル社への抗議運動など、グループが地道な活動を続ける中、グループを揺るがす事件が起きた。チョコレート会社の広報部長と清掃員の車の窓ガラスがわられ、車の側面にペンキで、『世界を救おう』といたずら書きがされていたのだ。一体誰がこんなことを?

鶏への虐待に反対し、養鶏場に忍びこもうという日に、グループの活動に突然参加することになった男性新メンバー、シメンが、グループの方向性をはき違え、活動は次第に過激化していく。そのことに危機感をつのらせたメンバーのラーシュやリーセが、グル―プを離れると言い出すなど、グループ内に不協和音が生じはじめ……。

児童労働や過酷な長時間労働、グローバル化による経済格差、残虐でずさんな食肉産業の実態などの問題を、恋愛や友情模様を交えながら、みずみずしく描いた青春小説。スリリングで面白いのに、深く考えさせるので、エンターテイメント作品としても楽しめ、同時に読書感想文の題材としても有益では。

著者情報

シモン・ストランゲル(Simon Stranger)

一九七六年、ノルウェーのオスロに生まれる。オスロ大学で哲学と宗教史を学んだ後、作家校校に一年通う。

二〇〇三年、国際貿易により生まれる格差と貧困の問題を扱った大人向けの小説、『この一連の出来事を僕らは世界と呼んでいる』でデビュー。

二〇〇六年、子ども向けの読み物『イェンガンゲル』で、リクスモール協会児童書賞を受賞。その作品は現在九か国語に翻訳されている。

YA『バルザフ』が翻訳されている七か国のうちパレスチナに赴き、現地の子どもたちや大学生と作品について議論をした。『バルザフ』のアラビア語への翻訳書が二〇一二年IBBY(国際児童図書評議会)オナーリストでパレスチナの最優良翻訳作品に選ばれる。

アジアやアフリカのスラム街を旅したり、 世界の貧困の問題や大気汚染をなくすための運動や、中国で障害者への支援活動に参加したりした経験をもとに書い本書をノルウェーで二〇一二年三月に発表。現在服飾デザインの仕事をしながら、ヴェトラムにフェア・トレードの縫製工場をつくるプロジ ェクトにも参加してい る作者は、問題の解決は一朝夕にはなしえないということを日々痛感 している。

著者あとがき

日本の読者のみなさんへ

今ぼくはノルウェーの首都オスロの郊外にある自宅のバルコニーで、潮風をほおに感じながら、この文章を書いています。地球の向こう側の日本で暮らすみなさんが、この本を手にとってくださっているところを想像すると、不思議な気持ちになります。また同時に、さまざまな人への感謝の思いと、喜びの感情がわき上がってきます。ぼくは一人じゃないんだ、そう思えます。ノルウェーに暮らすぼくたちだけでなく、大陸の向こうにいるみなさんがぼくと同じ思いを共有しているのだと。
ぼくらが持つこの思いの根底にあるのは、ごく単純なものです。それはぼくらの心に生まれつつある違和感です。日常生活への違和感。ぼくたちの生活はどこかまちがっているのではないかという思いが、次第にふくらんできているのです。この違和感をなくそうと、自分たちの買う品物がどこでつくられ、どこから輸入されたものなのかを意識する人が増えてきています。ぼくたちの身の回りにあるものの背景に、どんな人生の悲喜こもごもがひそんでいるのかを知りたいと思う人たちが。そのような違和感や意識、思いからこの小説は生まれました。
ぼくがはじめに違和感を覚えたのは、裏事情があるとすでに世間で知られていた、チョコレートに対してでした。そこからさらに興味は広がっていきました。ぼくのズボンに使われている綿花はだれがつんだものなんだろう? うちの子どもたちのTシャツをぬったのは? 携帯電話に使われている鉱物や鉄鋼を採掘したのは、だれ?
こんなことを考えたり、おもちゃやTVやコンピューターがどこでつくられているのかを本で調べたりしていくうちに、霧が晴れるようになぞが解けていきました。同時にいだいていた疑念が、確信に変わるのを感じました。いえ、現実はぼくが思っていた以上に悲惨なものでした。
世界には、スラムに暮らす人がたくさんいます。その多くがぼくらが日常生活の中で使っている製品の原料をつくっています。そういう人たちの中には未成年の子や、親元をはなれ工場の寮でねとまりしたりしている人もいます。電池や携帯電話、コンピューターに使われているコルタンを採掘するため、コンゴの鉱山で働いている人もいます。中国の工場で目覚まし時計やiPadやハード・ディスクや体重計の部品をつくっている人も。大きなおけで綿を染める人や、エビの殻をむく人、機械を動かすのに必要な石炭をほる人。ぼくらが日々生活できるのは、そういった人たちのおかげです。しかしぼくらはそのことを分かっているようで分かっていません。
これらはグローバル化と価格競争がもたらした結果です。私には関係ないと言う人もいるかもしれません。でもこれはぼくたちが生きるこの世の中で起きている問題なのです。
一つ、覚えておいてください。君たち個人に、直接の責任はないってことを。時々ぼくは若い人たちがこの本を読むことで、行き過ぎた罪悪感をいだいてしまうのではないかと心配になります。過度に責任を感じ、自分をさげすんだり、悲観的になったりしてしまうのではないかって。若いころのぼくが、ちょうどそうだったように。
そんな風に君たちが感じても、世の中は何も変わりません。世界のどこで生まれるかは、自分たちでは選べません。それにグローバル化された世界の構造は、個人の力で変えることは困難です。グローバル化はみんなで立ち向かわなくてはならない問題なのです。状況を変えるため、まずは問題があることを知り、事実として受け入れなくてはなりません。ぼくがこの小説を書いたのは、そのためです。
ぼくは日頃、フェア・トレードのコーヒーを買うようにしています。作家業のかたわらしている縫製の仕事では、ベトナムや中国の良識的な生産者から仕入れた布を使うようにしています。ただそういった生産者は実際のところ、ごく少数です。
この作品の中に出てくるH&Mは、ノルウェーでは一番大きな洋服チェーンの一つです。H&MグループはH&Mだけでなく、COSやWeekday(いずれも日本未出店)などのブランドも展開しています。それらの店舗は、世界各地にあります。このグループには、社会的な責任があります。下うけ業者をすべては把握していないなんて言い訳は通用しません。彼らには、それを把握しておく義務があるのです。さらに彼らはこう言うかもしれません。自分たちは労働者に対し、最低賃金をはらっているって。でもこの言い訳も通用しません。なぜなら企業側はその最低賃金で労働者が生活できないということに、気がついているはずだからです。このようなことは今後は許されません。時代は変わったのです。
どの人もショッピングの帰りに、これは一体どこでつくられたんだろう? と不安になったり、罪悪感をいだいたりはしたくないはずです。またチェーン店側も、奴隷労働の後押しをしたいと思ってはないでしょう。今こそ変わるべき時です。先進国の消費者としてぼくらは着かざることばかりを気にするのではなく、誇れる行動や暮らしをする努力をしなくてはなりません。これらの努力はむだにはならならずに、問題の解決につながるはずです。君たちも世界を救うために、できることからはじめてください。きっとそれは、必要なことなのです。
二〇一二年十月五日 シモン・ストランゲル
©Simon Stranger *ブログへの掲載は作者に許可をいただいています。

訳者あとがき、さらに知りたい人へ

訳者あとがき

みなさんは安いものは好きですか? おこづかいは限られていますから、安いものを買いたいと思うのは自然なことです。でもほんの時々でよいので考えください。ものの値段が安いということはそのかげで、ぎせいになっている人がいるということを。
二〇一二年の十月、ファスト・ファッション・ブランド、H&Mが生まれたスウェーデンとそのおとなり、ノルウェーで、あるドキュメンタリー番組が放送されました。カンボジアにあるH&Mの下うけ工場で工員が週七十時間にもおよぶ長時間労働を強いられ、最低限の生活を送れるだけの賃金をもらえていないというのです。
それを見たこの本の作者、シモン・ストランゲルさんはH&Mの最高経営責任者(CEO)にメールをして、賃金の引き上げと長時間労働の中止を求めました。すぐに社員から代理で返信があり、九月にCEOがバングラデシュの首相と会談をし、国内の繊維産業の最低賃金引き上げを求めたと書かれていました。その努力を一部認めつつも、十分ではないと感じたシモンさんは、新聞記事やラジオでもH&Mに労働環境の改善を求めました。また改善をしてくれないなら、H&Mの商品は買えないと言いました。
たくさんの人が一丸となって商品を買わないことで、企業に改善を求める運動を不買運動といいます。また作品の中に出てくるような抗議運動も現状を変える手段の一つです。例えば一九九八年に世界的企業であるナイキに対し世界中で抗議運動が行われました。中でもサンフランシスコの人権団体グローバル・エクスチェンジは、インドネシアにあるナイキの下うけ工場の賃金を倍にするよう求め、三週間後にはインドネシアの工員のうち三割の人たちの給料を二十五パーセント上げ、五か月後にさらに六パーセント上げるという約束を取りつけました。ただ作者が作品中で警鐘を鳴らしているように、このような運動は時に過激化することがあるので注意しなくてはなりません。
不買運動をする前に、まずはどの会社で児童労働、奴隷労働が行われているかを調べなくてはなりません。残念ながら日本国内の企業の取り組みについて、体系的に調査・公表をしている団体はほとんどありませんから、企業のサイトなどでチェックする必要があります。中にはそのようなことについて、全くと言ってよいほどど触れていない企業もあります。そういう場合は、直接聞いてみるとよいでしょう。声を上げる人たちが増えれば、企業は商品が売れなくなることをおそれ、重い腰を上げざるをえません。
この作品には、このような縫製産業の実態だけでなく、チョコレート産業で行われている児童労働や人身売買、アップル社の工場での長時間労働、養鶏場におけるニワトリへの虐待、グローバル化による経済格差の問題など、いくつもの問題が描かれています。また物語の最後にリーナの働く縫製工場で起きた事故はフィクションですが、一九九三年バンコク、二〇一〇年バングラデシュ、二〇一二年パキスタンやバングラデシュなどで似た事故が実際に起こっています。
このような状況を変えるために、他にできることはないのでしょうか?
シモンさんはフェア・トレード(発展途上国の原料や製品を、適正な価格で買うことで、生産者にその労働に見合ったお金をはらえるようにする公正な貿易)の商品を買うよう心がけているそうです。みなさんもお家の人にお願いしてもよいでしょう。ただフェア・トレード製品は天災、異常気象、価格の暴落など特に農産物の生産にはらむリスクを消費者や企業が生産者と分かち合うため、通常の製品より少し高い場合があるようです。なのでお家の人には、お金の許す範囲でと伝えましょう。これらの商品を買う人が増えれば、一人一人の負担は減り、価格は安くなります。
シモンさんは企業が改善するだけでなく、世界の国々が国際的な決まりを作る必要性も感じているそうです。例えばアメリカでは、一九三〇年に強制労働によって作られた製品の輸入を禁止する法律が制定されました。また後の改正により、児童労働が関わった製品の輸入も禁止するようになりました。さらに一九八四年の通商関税法で、児童労働によって作られていたり、労働者の権利が守られていなかったりする商品を、諸外国がアメリカに輸出する際、優遇策を受けられないと決めました。日本でこのような決まりを作れるのは主に国会議員です。二十才になればそのような取り組みに熱心な候補者に投票することができます。
また、http://acejapan.org/modules/tinyd5/(児童労働の撤廃と予防に取り組む国際協力NGO、ACEのサイトより)で紹介されているように、児童労働をなくす署名に参加したり、いらなくなったブランド品や商品券を世界の子どもたちに送ったりすることもできます。
また問題を知ることも大切です。この後の、『さらに知りたい人へ』を参考にしてください。シモンさんはFacebookやご自身のブログ、講演などでも、この本で取り上げた問題を語っています。みなさんぜひお友だちやご家族に話してみてはどうでしょう?
そうした小さな積み重ねが、社会全体を変えることにつながっていくはずです。

さらに知りたい人へ

読書感想文を書こうとしている皆さん。以下の書籍、サイト、DVDをみて参考にしてください。より充実した内容の感想文が書けますよ。

《チョコレート産業について》

◆『チョコレートの真実』キャロル・オフ作、北村陽子訳、英知出版、二〇〇七年

◆『わたし8歳、カカオ畑で働き続けて。~児童労働者とよばれる2億1800万人の子どもたち』児童労働を考えるNGO=ACE、岩附由香、白木朋子、水寄僚子著、合同出版、二〇〇七年

《縫製業について》

◆http://www.ethicalfashionjapan.com/2012/06/anti-slavery-intl-01/(エシカルファッション情報サイト、人権保護団体によるアパレル工場の労働報告書について)

◆http://www.ethicalfashionjapan.com/2012/04/20120413-02-h-m/(二〇一一年のH&Mの年次報告書について)

◆http://www.labourbehindthelabel.org/campaigns/itemlist/category/250-company-profiles(英語)(世界の縫製業で働く人たちの労働環境の向上をうったえるLabour Behind the labelのサイト、世界的なアパレル会社による最低賃金を保証するための取り組みについての評価)

◆https://www.hm.com/jp/customer-service/faq/our-responsibility(H&Mのサイト、労働環境の改善を果たす企業の責任について)

《アップル社などの工場について》

◆『中国貧困絶望工場 「世界の工場」のカラクリ』アレクサンドラ・ハーニー作、漆嶋稔訳、日経BP社、二〇〇八年

◆『現代中国女工哀史』レスリー・T・チャン著、栗原泉訳、白水社、二〇一〇年

《食肉産業について》

◆映画『フード・インク』ロバート・ケナー監督、二〇〇八年製作、二〇一一年一月から日本で上映。DVD販売、レンタル中。

《グローバル化による経済格差の問題について》

◆『フェアトレードの時代』長尾弥生著、日本生活協同組合連合会、二〇〇八年

◆『世界の半分が飢えるのはなぜ?』ジャン・ジグレール作、たかおまゆみ訳、合同出版、二〇〇三年

◆映画『ありあまるごちそう』オーストリアのエルヴィン・ヴァーゲンホーファー監督、二〇〇五年製作、二〇一一年二月から日本で上映。DVD販売、レンタル中。

書評など

第46回岩手読書感想文コンクールの課題図書に選ばれました。

思い出

2011年冬、ノルウェーの文学団体Norlaの助成でノルウェーに行きました。Norlaの担当の方がご親切にもエージェントやIBBY Documentation Centerなど様々な機関にアポを取ってくださったおかげで、大変有意義な時間を過ごすことができました。また帰りにはドイツのフランクフルト・ブックフェアに立ち寄り、そこで本作 『このTシャツは児童労働で作られました。』の版元であるCappelen社の版権担当の方とお話する機会を得ることができました。

帰国後も、Cappelen社の方は本を郵送して下さったり、作品のPDFファイルをメールで送ってくださったりと大変親切にしてくださいました。そうした中で出会ったのが本作、 『このTシャツは児童労働で作られました。』です。作品を読んですぐに概要をまとめ、汐文社さんに企画を提案し、刊行が決まりました。

Norlaの方やCappelen Agencyの皆さんのご親切のおかげで、何とかこうして形にすることができ感慨深いです。

またこの作品の素晴らしさを見出し、日本での刊行を実現させてくださった、汐文社の仙波敦子さん、どうもありがとうございました。

最後に素晴らしい作品を創ってくださった上、日本の読者に向けて特別にメッセージまで書いてくださった著者のシモン・ストランゲルさんにも御礼申し上げます。

19. 手で笑おう 手話通訳士になりたい

書影

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『手で笑おう 手話通訳士になりたい』アン・マリー・リンストローム作、汐文社、2012年

作家紹介

アン・マリー・リンストローム(Anne-Marie Lindström)

1933年、耳の聞こえない両親のもとに生まれ、マルメにあったろう者向けの集合住宅で育つ。高校卒業後、スウェーデンろう連盟に勤務。1968年、手話辞典『ろう者のための手話』(Teckenspråk för döva)を編纂。スウェーデン初の手話通訳士養成講座の開講に尽力するなど、手話通訳士制度の発展に寄与した。1980年代後半には、新聞のコラムニストとしても活躍。1987年、『お母さんと私』(Mor och jag)で作家デビュー。IBBY(国際児童図書評議会)障害児図書資料センターの推薦図書に選ばれた。2009年に亡くなった。

あらすじ

耳の聞こえない両親のもとに生まれ、ろうの人と健聴者とを手話でつなぐアン。スウェーデンの手話の発展に尽くした女性の実話。

あとがき

1933年にスウェーデンで生まれたアン・マリー・リンストロームさんは、耳の聞こえない両親と健聴者の弟とともに、ろうの人向けの集合住宅『ろうの家』で暮らしていました。

その家の大人は読み書きが苦手な人が多く、耳の聞こえたアンさんに領収書や手紙や新聞を読むのを手伝うようしょっちゅう頼んできました。ろうの人達は話し言葉を聞くことのないまま、書き言葉を覚えます。そのため文章のつなげ方や助詞の活用、語順、状況に応じた言葉の使い分けに苦労しがちなのです。スウェーデンのろう教育は1809年にすでに始まっていましたが、教育制度や教授法は当時それほど整っていませんでした。そのためろう学校に行ってもしっかりとした教養を身に付けられず、結果賃金の高い仕事に就けず、貧困に悩まされる人も多かったそうです。耳が聞こえたアンさんは、ろうであることに自信が持てなかった大人達にすごい、すごいと持てはやされて育ちました。

ところが小学校三年生の時、ポリオで自由に歩けなくなり、初めて人から助けられる立場になりました。長い入院生活と自宅療養を経て中学校に進学しますが、手話の世界で育ったアンさんは話し言葉や書き言葉が苦手で、授業についていけません。そこで中学校を中退し、通信制の中学校で卒業資格をとることにしました。辛い日々の中でアンさんは、自分にとって手話とは一体何なのか真剣に見つめなおしました。

中学卒業後は、日中に仕事をしながら、夜間高校に通いました。そしてろうと健聴者をつなぐかけ橋になりたいと夢みるようになります。

夜間高校を卒業後、スウェーデンろう連盟で働きはじめました。そこで手話通訳士の教科書や手話辞典を手さぐりでつくりました。また1969年に手話で授業をする国民高等学校をろう連盟がスウェーデンで初めて開きました 。

同じ1969年、手話通訳士の養成講座の開講準備にも携わり、ご自身も参加され、後にご自身も通訳士として活躍されます。当時スウェーデンにもプロの手話通訳士はほとんどいませんでした。手話法も全くと言っていいほど確立されていませんでした。

それから40年以上経った現在のスウェーデンでは、ろうに一番近い存在の人が職場で就業時間内に無料で手話を学ぶ権利が保障されていたり、大学などに手話通訳養成コースが設置されていたりと、手話の学習環境が整っています。また県が各教育機関に手話通訳士を派遣。手話通訳士に生活していくのに十分な給与を支払います。アンさんをはじめとするろう連盟の方々が手話通訳士制度の礎をつくったことが、これらが実現した大きな一因となっています。

逆境にもめげず、見事に夢をかなえたアンさん。本書の日本での出版が、日本のろうの人達を取り巻く環境の改善と社会的地位の向上につながれば、こんなに嬉しいことはありません。

最後に手話やろう者を取り巻く環境について、質問に答えてくださった手話研修センターの小出新一様にこの場を借りて御礼申し上げます。

書評など

  • 第46回岩手読書感想文コンクールの課題図書に選ばれました。
  • 岡山県学校図書館協議会 平成25年度 第59回岡山県読書感想文コンクール指定図書に選ばれました。
  • 第46回YBC(山形放送)読書感想文・体験文指定図書に選ばれました。

18. サイエンス・クエスト 科学の冒険

書影
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『サイエンス・クエスト 科学の冒険―宇宙の生命、死の意味、
数の世界』アイリック・ニュート作、NHK出版、2012年

内容紹介

この本には、だれもが一度はふしぎに思う謎を解きあかすための、たいせつな鍵がかくされている。
たとえば…
Q1.地球以外の星に、生きものはいるんだろうか?
Q2.なぜ、みんないつか死ななければならないんだろう?
Q3.算数とか数学って、生活のなかで役に立つんだろうか?

ぼくたちひとりひとりの一生は、宇宙の長い歴史から見たら、ほんのまばたきくらいの時間でしかない。
でも、ずっとむかしから、その短い一生のあいだに、人はわからないことをあきらめずに、答えを追いもとめた。
それでもまだまだ謎はのこっている。その答えを見つけるのは、ぼくたちの楽しみだ。さあ、旅に出よう、はてしない科学の冒険だ。
北欧の人気サイエンス・ジャーナリストが、10代に向けておくる”思考するための”科学入門書。

『嵐にしやがれ』や『リアルスコープZ』(2012年9月1日放送、『科学界のインディ・ジョーンズ、長沼毅の科学SP』)科学界のインディ・ジョーンズ、生物学者の長沼毅氏解説。

(生物学者・広島大学准教授 長沼毅氏の「解説」より抜粋 )
ノルウェーは子ども向けの科学本の出版にとても熱心だそうだ。ニュート氏がノルウェーの子どもへの科学教育で大きな役割を果たしていることは間違いない。生物学を専門とする私にも、この本に書かれている生物学の記述はすばらしく、私自身もわくわくしながら読んだからだ。特に本書のなかでもパート1「となりの星にE.T.はいるのか」は圧巻である。

作家情報

(作者)

アイリック・ニュート(Eirik Newth)

作家、科学ジャーナリスト、翻訳家。1964年ノルウェーのオスロに生まれる。

オスロ大学で天体物理学を専攻。これまで『世界のたね』、『未来のたね』(NHK出版)、『星空の神秘』『太陽~ぼくたちの恒星』(日本語未訳)などの著作がある。

『世界のたね』でブラーゲ賞最優秀作品賞と、ノルウェー文化省最優秀ノンフィクション賞を、『未来のたね』でノルウェー文化省最優秀ノンフィクション賞を受賞。そのほか、北欧学校図書館協会児童書賞など多数の児童書賞を受賞。

その著作は、19か国語に翻訳されている。テレビの科学番組にも多数出演。科学ノンフィクションについての講演活動も精力的に行っている。

あとがき

一九七一年二月五日、小学一年生だったニュート少年は、父の勧めで、学校を休み、アポロ十四号から月面に降り立つアメリカ人宇宙飛行士たちの姿を、テレビにかじりついて観ていたそうです。一九六一年から七二年の十一年間で、NASAのアポロ計画により、宇宙飛行士たちが六回も月に着陸した当時の人たちは、それくらい宇宙に夢中だったのですね。
大学で天体物理学を専攻したニュート氏は、作家、翻訳家、科学ジャーナリスト、テレビ解説者として活躍するようになります。

今も暇さえあれば、宇宙人や幽霊、二次元の世界など、世の中のおもしろいことについて妄想するという作者にとって、それらの仕事は、まさに天職だったのでしょう。その作品はあわせて、すでに二十一か国語に翻訳され、ブラーゲ賞をはじめとする国内の様々な賞を受賞し、さらにドイツ児童文学賞にノミネートされるなど、海外でも話題を呼んでいます。

日本でも、科学史を分かりやすく紹介した『世界のたね』と、未来の科学がどう進歩していくかを予想した『未来のたね』が出版され、たくさんの人たちに支持されています。

世界中の読者からの熱い声援にこたえ、ニュート氏が書いたサイエンスシリーズ『宇宙に生きものはいるのか』(”Liv i universet”)、『ぼくたちは、なぜ死ぬのか』(”Hvorfor dør vi?”)、『数の世界』(”Tallenes verden”)を、日本での出版に際し、1冊に編みなおしたのが本書『サイエンス・クエスト 科学の冒険』です。小・中学生から大人まで、幅広い読者に親しんでもらえるよう、豊富なイラストや写真をまじえ、前作、前々作以上にやさしい言葉で書かれています。

今回テーマになっているのは、読者のみなさんが、きっと一度は夢みたことがある「宇宙人」や、ふとした時に、つい想像して、恐くなったり、不安になったりしてしまう「死」、それから「数」です。

「宇宙人」と「死」については、学校で、ほとんど習わないかもしれません。でも、前もって知識をつけておかなくても、理解できるよう書かれているので、安心してください。

「数」については、学校で勉強して、苦手意識をもっている人もいるかもしれません。でもこの本に書かれているおもしろくて、おかしな数の世界の話を読めば、そんな嫌なイメージなど、吹き飛ばされることでしょう。

この本の中のニュート氏は、先生や解説者というよりは、楽しい冒険旅行に連れて行ってくれる、ナビゲーター役です。世のなかにあるおもしろいことを、人に伝えるのが好きな作者の、楽しい気持ちが伝わって来て、読みおえるころには、頭が痛くなるどころか、胸がわくわくしているはずです。「世界は、なんてなぞめいていて、おもしろいんだろう」って。

すでに世界のたくさんの読者が、この科学の冒険に魅せられています。たとえばロシアでは、絵画コンクールが開かれ、七百人もの子どもたちが、この本から思い浮かべた宇宙人を、絵にしたんだそうです。また『ぼくたちは、なぜ死ぬのか』に対し、北欧学校図書館協会児童書賞も与えられました。

本書を出版するにあたって、広島大学の長沼毅先生と鈴鹿工業高等専門学校の堀江太郎先生が、翻訳原稿のチェック、アドバイスをしてくださいました。さらに長沼先生は巻末の解説も執筆してくださいました。どうもありがとうございました。また、日本の読者に読みやすい本を作るため、ご助力くださった、編集の猪狩暢子さんと塩田知子さんにも、この場を借りて御礼申し上げます。

二〇一二年三月
枇谷玲子

書評など

  • 『サイエンス・クエスト―科学の冒険』が静岡新聞で紹介されました。