27.穴

穴(Hullet)、オイヴィン・トールシェーテル(Øyvind Torseter)、2015年、ワールドライブラリー http://www.worldlibrary.jp/library/408

wl-0037-hullet

 

26. ドコカ行き難民ボート

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ドコカ行き難民ボート。 (汐文社) – 2015/4
シモン ストランゲル (著), Simon Stranger (原著), 枇谷 玲子 (翻訳)


(あとがき)

このお話はフィクションですが、サミュエルたちのように海をボートで渡ってヨーロッパを目指す難民は実際にいるようです。
作者のシモン・ストランゲルさんが、原書の最後に挙げている以下のサイトからも、そのことがよく分かります。英語のサイトですが、ぜひインターネットで観てみてください。映像を観るだけでも緊迫感が伝わってきます。簡単に内容をご紹介させてください。


(二〇〇七年、イギリスJourneyman Pictures)
このドキュメンタリ映像の出だしでは、カナリア諸島はヨーロッパの旅行者が多く訪れるリゾート地として紹介されています。観光客が海岸で日光浴をしたり、海で泳いだりと楽しいバカンスを過ごす中、海の向こうからたくさんのアフリカ系難民がひしめき合う粗末なボートがあらわれました。その様子を、目を丸くしてながめる人たち。ボートに乗っていたのはアフリカ、中でもとりわけ多いのは、西アフリカからの難民です。彼らはアフリカからヨーロッパの最も西にある領土であるこのスペイン領、カナリア諸島に、十一日前後の長い日数をかけ、命がけでやって来たのです。ボートは難民らがカナリア諸島に着いて間もなく浸水し、沈んでしまうこともあるほど、粗末で、状態が悪い場合が多いそうです。
かつてはモロッコからスペイン本土に渡る難民が多かったそうですが 、スペイン本土での取り締まりが厳しくなったことから、セネガルなどの南アフリカ沿岸の国からカナリア諸島 という新たな密航ルートがとられるようになったと紹介されています。
港で彼らの救護にあたる、赤十字の職員たち。職員は難民をテントに移動させ、食事を配ります。それほど広くなく、数も少ないテントの中で、映像が撮られた日は、五百人近い難民がひしめき合っていたようです。これだけ人が密集していると、一人が病気になれば、種類によっては、たちまち広まるリスクもあります。難民の人たちは、無事たどり着けた喜びからか、難民同士、また職員とも冗談を言い合い、笑い合う場面も。その中で脱水症状や体温低下、過度の日焼けなどから、手当や治療が必要な難民を職員が見抜き、医療車へと移動させます。その映像ではそれから三日後に、難民たちが一時受け入れ施設に移動させられると報じられていました。
映像には、セネガルに暮らす少年へのインタビューも収録されています。その少年はかつてセネガルから海を渡ったものの、強制送還されてしまったそうです。少年は言います。
「両親は自分のために全財産を投げ打って、密航料を支払ってくれた。なのにそれを無駄にしてしまった。悔しいし、恥ずかしい。セネガルにいても仕事がなくて、家計を助けることができないんだ」
さらにそのドキュメンタリには、首都郊外の大学近くのコンクリートの壁に描かれた、ある絵が紹介されています。それを描いた芸術家がカメラの前で説明します。ボートにたくさんの難民が乗っている絵です。ボートが目指す先には、スペインの国旗が。ボートの上で亡くなり、海に沈められる人たちの姿も描かれています。ボートに乗る難民たちの頭上には、『バルザフ』の文字。イスラム教の言葉で、死の後最後の審判を待つ間の中間段階を指すそうです。ボートには今回の作品とは異なり”TEKK? “という言葉が書かれています。「成功するか?」という意味だそうです。スペインに渡ったところで、成功するかどうか、それは分からない、という意味だと芸術家は言います。その言葉の通り、何とか海を渡ったところで、あっさり強制送還される恐れもあります。それを何とか免れても、ヨーロッパの社会に適応し、すぐに仕事を得られるとも限りません。貧しい家族にお金を送りたいという願いは必ずしもかなわないという現実があるのです。この本は単独でも楽しめますが、もしたどり着いた先の生活について詳しく知りたい人がいれば、同じシリーズの『地球から子どもたちが消える。』に詳しく描かれていますので、そちらもぜひ読んでみてください。
シモンさんは原書の最後に、さらにもう一作、ドキュメンタリを紹介しています。

(Travelling with Immigrants – Mali、二〇〇七年、イギリスJourneyman Pictures)
こちらのドキュメンタリではボートで海を渡る前、アフリカ諸国からサハラ砂漠の玄関口、マリのガオへ移動。そこからまたトラックで二週間近くかけ、サハラ砂漠を渡り、海沿いの町を目指す様子にスポットが当てられています。ボートが出る出発地は取り締まりが強化されると、リビア、モロッコ、セネガルなど次々場所が移されるそうです。海を渡る距離が長くなればなるほど、命を落とすリスクは高まります。ボートで海を渡るのはもちろん困難に思えます。ただ映像を観ると、その前の段階、サハラ砂漠を渡るのも非常に困難であることが分かります。体力も消費することでしょう。その状態でボートに乗るなんて――想像するだけで気の遠くなる思いがします。
さらに知りたい人は難民支援協会のサイトがとても参考になります。https://www.refugee.or.jp/event/ さまざまな講座やイベントを行っているようです。
特に次のページは日本にいる難民の状況を知るのに役立つはずです。https://www.refugee.or.jp/story/main.shtml
AAR Japan[難民を助ける会]http://www.aarjapan.gr.jp/about/のサイトもまた参考になります。
これらの協会が薦めている書籍を中心に、さらに知りたい人たちの助けになりそうな書籍をここに挙げておきたいと思います。
『日本と出会った難民たち 生き抜くチカラ、支えるチカラ』(根本かおる、英治出版)

『海を渡った故郷の味』(難民主演協会)

『「未来」をください―世界の難民の子らに、希望の光を』(本間 浩監修、小学館)

『日本の難民認定手続き − 改善への提言』(難民問題研究フォーラム編、現代人文社)

『ママ・カクマ 自由へのはるかなる旅』(石谷敬太編、石谷尚子訳、評論社)

『イヤー・オブ・ノー・レイン―内戦のスーダンを生きのびて』(アリス・ミード作、横手美紀訳、鈴木出版)

『はばたけ!ザーラ―難民キャンプに生きて』(コリーネ・ナラニィ作、野坂悦子訳、鈴木出版)

この本が世界の貧困や難民の人たちについて、皆さんが興味を持つきっかけとなればとても嬉しいです。
私がこの本をぜひ日本に紹介しようと決めたきっかけとなったのは、昨年NORLA(ノルウェー文学海外普及財団)というノルウェーの文学団体主催の翻訳者セミナーに参加し、夕食の席で本作をアラビア語に訳し、アラビア語の翻訳賞を受賞された翻訳者さんとお話したことがきっかけです。その本はパレスチナで出版され、大きな話題になったそうです。シモンさんは実際パレスチナの学校を訪れ、作品について生徒たちと意見を交わしました。翻訳者の方はモロッコ出身で、アラビア語が母語。ノルウェーに難民としてやって来ましたが、現在はノルウェー語を自在に操り、翻訳者、ジャーナリストとして活躍されています。実際の難民としてヨーロッパを渡った方が、素晴らしいと太鼓判を押した作品なら、きっと内容的に信頼がおけると思ったのです。 作者のシモン・ストランゲルさんはもちろん、シモンさんの作品を高く評価し、出版までご支援くださった編集の仙波敦子様、翻訳協力をしてくだった三瓶恵子様、この本に出会うきっかけを与えてくださったNORLAの皆さんや、同じくNorlaのメンター・プログラムを通じて訳文についてご助言をくださったノルウェー夢ネットの青木順子さんにこの場を借りてお礼申し上げます。

枇谷 玲子

 

 

(作者より)

日本の読者のみなさんへ

今から二十年近く前、ぼくは友人とその父親と、三十二フィート(およそ九メートル七十五センチ)のヨットで、フランスからカリブ海のカナリア諸島を目指していました。
その時、ぼくは十九才。高校を卒業したばかりで、世界へ飛び出そうとしていました。
ところが途中(とちゅう)で、ヨットの変速装置がきかなくなってしまいました。風が止み、潮に流されるまま、果てしない海の真ん中をただようヨットの上で、ぼくらはただ仰向けになっていました。
その十年後、ぼくはカナリア諸島の島のひとつ、グラン・カナリア島を一家の父として、再び訪れました。
その時ぼくは、『記憶』(原題“Mnem”、二〇〇八年ノルウェーで発表)という大人向けの小説に収録する四ページの短いマンガの物語を考えていたところでした。
本の完成を間近に、ぼくは探求しきれていないもの、描ききれなかったものが、たくさんあるように感じていました。
そんなぼくにとって、カナリア諸島は完ぺきな場所でした。
その島ではヨーロッパからの家族連れが、海岸で日光浴をしたり、海で泳いだり、砂のお城をつくったり、おいしいご飯を食べたりして、夏休みをすごしていました。
でもそのすぐそばでは、夢を求め、ヨーロッパを目指していたアフリカ人の子どもや若者が、息絶えている。
正反対の光景です。
世界の縮図みたいな。
いつだか、はっきり思い出せないのですが、後のある日、ぼくの目の前にひとりの女の子の姿がぱっと浮かびました。観光客が集う場所をはなれ、ジョギングをしていたその女の子の前にふと、難民ボートが現れました。
ぼくは考えました。
「この子は誰なんだろう? ボートの中の難民たちに、それぞれ物語はないのかな?」
そうしてこの『ドコカ行き難民ボート。』を書きはじめたのです。
これは様々な意味で、ぼくの転機となった作品です。この本はたくさんの言葉に訳され、ぼくを新たな地へ、新たな読者の下へと導いてくれました。
そして今度は日本語に訳されると聞き、ぼくは信じられないぐらい、ほこらしい気持ちでいます。
ぼくがこのお話を書くことで、覚醒されたように、このお話を読んだみなさんの心に、何かが芽生えますように。
ぼくらは皆、同じボートに乗っています。
ぼくらは誰しも、未来や人と人のつながり、意義を求めています。
文学は言葉や国境をこえ、ぼくらをつないでくれるのですね。
この本を読んでくれて、ありがとう。

シモン・ストランゲル

参考:

TEDより https://www.ted.com/talks/anders_fjellberg_two_nameless_bodies_washed_up_on_the_beach_here_are_their_stories

参考:TED 難民になるってどんなこと?

参考:TED 崩壊しゆく難民制度を建て直そう

25. 地球から子どもたちが消える。

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地球から子どもたちが消える。 (汐文社) – 2015/4
シモン ストランゲル (著), Simon Stranger (原著), 枇谷 玲子 (翻訳), 朝田 千惠 (翻訳)

 

(あとがき)

二〇一四年八月にノルウェーで発表された本作は、すでにノルウェーの新聞などで取り上げられ、「世の中を動かす作品」、「近年で一番大切なヤングアダルト作品」などと評価されています。またノルウェーのヤングアダルト賞、『UPRISEN』や、『本のブロガー賞』にもノミネートされています。
このお話は楽しい話ではないかもしれません。特にラストはショッキングです。ノルウェーでも例えばあるブロガーが、「中学生の息子が横でこの本を読んでいるのを見て、一瞬止めようかと思いました」と書いているように、ノルウェー人にとっても刺激が強いもののようです。
ただそのブロガーはこう続けています。「でも夢中で読んでいる姿を見て、声をかけるのは止めました。この本には目をそむけたくなるようなつらい現実が描かれているけれど、その現実をそろそろ見せてもよいのではないかと思ったのです。その後社会問題について考えるようになった息子を見て、選択は正しかったんだと思いました」
私も初めこそ戸惑いましたが、難民認定の実態を書籍で調べるうちに、残念なことではありますが、この作品の内容は現実に即していることに気がつきました。
このシリーズはたくさんの国に翻訳紹介されています。そのうちのひとつである東アジアの国の翻訳者と、この作品についてメールのやりとりをした時、これは東アジアの子どもたちに伝えるべき作品だね、いうことで意見が一致しました。東アジアの子どもたちは大人から守られすぎていて、世界で実際に起こっている宗教的対立や戦争についてほとんど知らない。子どもは私たち大人が思っている以上に賢く、深く考えることができるのではないか、と。この本の価値を決めるのは私たち大人ではなく、子どもの読者なのでは、と。
私たち大人は、子どもの本のよい悪いを、一面的に判断してはいないでしょうか。子どもは夢中になれる物語を求めています。私は子どもが真に求めているのがどんな物語なのか、これからも考え続けたい。この作品を訳してそんな思いを一層強くしました。
『UPRISEN』のサイトでは、ノルウェーの読者の感想を読むことができます。ふたつほど紹介しましょう。「ハッピーエンドはただすかっとして終わりだけど、この本を読んで、世の中にはたくさんの人がいて、誰しもが必ずしも幸せな人生を送れるとは限らないってことを知れたのは、よかったと思う」、「僕はこういう悲しい本を好きだと思ったことは今まではなかった。この本を読んで初め、僕はすごくびっくりした。そして恐ろしいのに、ページをめくる手が止まらなかった。こういう読書体験は初めてだった。僕の中で、新しい本への価値観が目覚めた気がした」
作者はさまざまな資料を読みこんだり、アムステルダムに取材旅行などした上でこの作品を書きました。伝えたいという強い思いを持った作家さんです。また温かで人間味に溢れ、人道的な目線や語り、子どもたちの心にまっすぐに届く簡潔で、それでいて美しい文章が、この本をただの「おりこうさん」のための本ではない、文学作品にまで引き上げています。
日本の難民認定の実態を知りたい人は、ぜひ『壁の涙―法務省「外国人収容所」の実態』(「壁の涙」製作実行委員会編集、現代企画室)

『母さん、ぼくは生きてます』(アリー・ジャン作、池田香代子訳、マガジンハウス)を読んでみてください。

また文學界新人賞を受賞し、高校の英語の教科書にも収録された、『白い紙/サラム』(シリン・ネザマフィ作、文藝春秋)もお薦めです。

枇谷 玲子

 

(作者の言葉)

日本の読者のみなさんへ

 

「サミュエルはどうなったの?」

「『ドコカ行き難民ボート。』の後、サミュエルは無事なの?」

これはシリーズ一作目にあたる『ドコカ行き難民ボート。』がノルウェーで二〇〇九年に出版された後、僕が何度もされた質問です。その質問に僕は全くもって答えることができませんでしたし、その答えとなる続編を書こうとは思っていませんでした。

ところがある日、エミーリエが出てくる物語がぱっと僕の頭に浮かびました。それが『このTシャツは児童労働で作られました。』(ノルウェーでの出版二〇一二年、日本での出版二〇一三年)です。そのころも、例の二つの質問は、僕の頭の中で響いていました。解決されぬまま。

そして『このTシャツは児童労働で作られました。』がノルウェーで出版されて少しして、また僕の前にある場面がぱっと浮かびました。サミュエルが窓をたたく音で、エミーリエが目を覚ます場面が。今度の舞台はエミーリエの暮らすノルウェーでした。そこから物語がどう展開していくのか、考えるのが僕の役目です。サミュエルがどうやって、何のためにノルウェーにやって来たのかを。

さまざまな点から、この本は希望を失った人を描いたドキュメンタリーであると言うことができます。人は希望を失うと、どうなるのでしょう? 人は今よりよい生活が送れるようになることや、明るい未来が待っていることを信じられなくなったら、一体どうなるのでしょう? 全ての光が消え、生きることに伴う闇は次第に膨らみ、その人は飲みこまれてしまうのです。

これはシリーズ最終巻です。このシリーズは作家である僕を、世界に連れて行ってくれました。物語の中でも、現実にも。こんな風に物語を終えざるをえなかったことについては、作者として胸を引き裂かんばかりの思いでいます。でもこれは事実なのです。この物語の着地点は実際、ひとつしかありえませんでした。

僕と一緒に旅をしてくれてありがとう。どうか自分のことを大事にしてください。日々を楽しむことも忘れないで。君が望む人生を、君が送ることのできる人生を、精いっぱい生きてください。ここにあるもの全てに感謝しましょう。

そうすることで、さらなる本との出会いが訪れるのです。新しい日々が。新しい物語が。

シモン・ストランゲル

参考:TED 絶望してばかりもいられない。平和な世界をつくるため、動き出す人達。そしてそれはきれい事なんかじゃない。

参考:TED 格差を減らすために私達ができること。飢饉、 病気、 紛争、 腐敗――そんなアフリカのイメージが変わりつつある。経済成長とビジネス・チャンスというアフリカの新たな一面に、なぜか人々は目を向けようとしない。アフリカの経済学者の話。

参考:伊勢丹バイヤーを動かした一人の主婦の熱意 アフリカ布バッグの奇跡
http://withnews.jp/article/f0170130001qq000000000000000W05u10301qq000014572A

参考: