プロクトル博士のおなら薬(Doktor Proktors Prompepulver)、ヨー・ネスビュ/ジョー・ネスボ(Jo Nesbø/Jo Nesbo)

プロクトル博士のおなら薬(Doktor Proktors Prompepulver)、ヨー・ネスビュ/ジョー・ネスボ(Jo Nesbø/Jo Nesbo)

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(Kilder:画像出典エージェントサイト:http://www.salomonssonagency.se/books/doktor-proktors-prompepulver

作者のミステリ『スノーマン』が2017年10月13日に全米公開される。

 

作者インタビュー:

子どもに向けて書く際も、大人に向けて書く際も、「良いお話」が共通して求められる、と語られている。作者は娘さんに物語をつくって読み聞かせをしたことが何度もあるらしく、「相手が子どもだろうと、つまらなければつまらないとはっきりと態度で示される」と述べている。

作者は子どもの頃、ロアルド・ダールの所有するアパートに暮らしていて、夏になるとそのアパートの下の階にダールが滞在していたこと(ダールの両親はノルウェー人。ダールというのはいかにもノルウェー人という苗字らしい)、また彼の作品の大ファンであることなどが述べられている。

CMの映像:

http://gu.com/p/3pcy2/stw(英語ラジオ)では、児童書を書く方がミステリを書くよりも楽しい。ミステリでは様々な要素をまとめなくてはならず、書いていると、オーケストラの指揮者になったような気分になる、と述べている。

(概要、あらすじ)

Download (PDF, 319KB)

 

(ミステリ作家に児童書が書けるのか?)

http://www.dagbladet.no/2016/03/12/kultur/barnebok/litteratur/bok/bildebok/43330807/

上の新聞記事では、北欧のミステリ作家には児童書も書く作家が多くいるが、それは可能なのか議論されている。確かにJo Nesbø、Jørn Lier Horst、Tom Egeland、Tom Kristensen、Unni Lindell、Knut Faldbakken(ノルウェー)、Camilla Läckberg(スウェーデン) 、Yrsa Sigurðardóttir(アイスランド)などのミステリ作家が児童書を書いている。記事では、ミステリ作家は編集者からの声かけで子ども向けのミステリを書くパターンが多い、それはミステリ作家がプロットを組むのがうまく、またミステリというのが先へ先へと読者を誘うのに適したジャンルであるからだ、と書かれている。

ある批評家が、ミステリ作家が児童書を書くのは読者を若いうちに取り込んで、将来自分のミステリの読者を増やそうという下心があるのではないか、ミステリ作家になってからは、児童書をろくに読んでいないのに、子どもの頃の記憶を頼りに児童書を書く、なので彼らの児童ミステリは古臭い、と批判した。

サイト運営者が読んだことがあるのは、Jørn Lier Horst氏のYA、CLUEシリーズ

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(画像出典 Kilder:http://norla.no/nb/books/345

探偵事務所NO.2』(Detektivbyrå nr. 2)シリーズ、

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(画像出典 Kilder: http://www.gyldendal.no/Barn-og-ungdom/6-9-aar/Operasjon-Solnedgang

Unni Lindellの『おばけのネッラ』(Nifse Nella)シリーズ、

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Knut Faldbakkenの『くまのバルデマール―ぼくって、サイコー!』(Baldemar, en fortreffelig bjørn)、

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そして今回のJo Nesbø、『プロクトル博士のおなら薬』だが、個人的に気に入っているのは、最後の2つだ。

前述の批判に対し、作家達は反論。お金のために書いているわけではない。大人向けのものを書いたほうが、より収入は見込める。子どもに読書の楽しみを伝えたいなど、きちんとした動機を持ち、真剣に書いているのだ、と。子ども達は吸血鬼やモンスターなど怖いものが好きだ。でもこの世の中で実際起きうる出来事にも、恐ろしいものはたくさんある。子ども向けのミステリは子どもの世界を広げるものだ、と記事には書かれている。

ブログ管理者が思ったのは、そのジャンルにはジャンルの言葉づかい、描き方があるのではないか、ということだ。児童書だけに取り組んでいる人、児童書を中心に読んでいる人が、ミステリの作家が児童書を書いているのを見ると、自分達の畑を土足で踏み荒らされたような気持ちになるのも無理はない。

なので、ミステリの作家が児童書を書く際、批判はある程度覚悟した方がよいだろう。そしてそれに立ち向かうには、実際によい作品を書くしか道はないのではないかと思えた。そうすれば批判の声は自然と止むだろう。

事実、今回の批判記事には、『プロクトル博士のおなら薬』は悪例として挙がっていなかった。なぜなら、この作品は面白いからだ。例えヨー・ネスビュが”スカンジナビアのミステリ王”と呼ばれていようとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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